けっこう以前のスポーツ番組の特集での一コマ
日本人としてアメリカ野球に挑戦し、10年でようやくメジャーの舞台に立てたという選手の特集でした。
「歩くことが好きな人はゴールを目指している人よりも遠くに歩ける」
これを英語で言っているのだけど、当然聞き取れていない。
ゴールを設定して行動するのはもちろん素晴らしいのだけど、歩くこと自体が好きな人のほうが・・・
「〇○道」という感覚に近いのかな?と解釈しました。
う~ん、このセリフが合っているかどうかというよりも、
ワタシ自身がこの言葉にすがりたい。
というか、すがるしかない。
先日、このブログを読んでくれている高校時代の友人からメールをいただいて、
「学生たちと充実した時間を過ごしていて素晴らしい」という旨の励ましをいただきました。ありがとうございます。
学生指導というのも、ゴールを設定する(試験合格など)場合とゴールを設定しない場合(より高み、深み、新発見を目指す)があるように思いますが・・・・
ゴールを設定しない「〇○道」みたいなものにしますと、これはもう信念しかないというかなんというか、他人に押し付けるものでもありませんし。
誰だ40になると惑わない、みたいなことを言ったのは。
30代の時よりも今の方がよっぽど惑っております。
時代の変化などという言葉は古くから使われているのだと思うのですけども。
「お前、そんなんじゃ俺のようになれんぞ」などというほど自分の生き様は勧められたものではありませんので、あんまり強く言えません。
でも、『人間は自信満々の時が一番油断している』という言葉もあると思えば、そこがいい味だしていることもあるのかもしれないなどと自分を励まして一日を過ごしております。
歩いているだけの人生になってきました。
さて、いきなりですが、こんな時ってどう思ったのいいのでしょうか?という投げかけを・・・
今、ワタシの下に来ている野球のトレーナー志望の学生なのですが、ナカナカ頭の回転も早く行動力もあり有望なのですけども、
その学生が腕時計にしているのが、なにやらスマホと連動していて、そこにラインやらのメッセージも表示されるというシロモノなようで・・・
私と会話をしている時にもメッセージが入ってくるらしく、チラチラと腕時計を観るのです。音が出ないところを見ると振動かなにかあるのでしょう。
私の生きてきた感覚としては指導してくれている人と会話している時に腕時計を見るというのはないので、ワタシのほうが慣れておらず、ガックリして話のトーンが下がるというか、事実、話を切り上げてしまいました。
といって、
『人と会話をしている時に時計なんぞ見てるんじゃね~!』
などと怒る自信はありません。
これが今の時代なのか・・・という気もしますし。
しかし、それならまだ豪快に着信音が鳴ってくれたほうがこっちも気が楽なような気がします。
時計をチラッと見ながら私と会話されると、
「これ、アタマの中じゃ別のことに気が行っているんだよな・・・トホホ」
と思いながらの話になるので、真剣な話をするほどアホらしくなってくるのですけども、皆さんはもうそんなの気になりませんか?
ちなみに私は研究室にお客さんが来たとき用に、自然な所作の中で時間がワカルように、色々な位置に何個も時計を配置しておいたりしています。
10年前の私なら「そんなことで野球界でやっていけるかバカたれ!」などと言っていたように思いますけども、なんだか最近の野球界の様子を見ていると「それでもいけるんじゃないか?」などと思うようになってきました。
そんなに真剣な会話をするほど大事な位置にいくわけじゃないでしょうしと・・・
逆に、そういう最新の機器を使いこなすほうが大事になるのかもしれないし・・・
ただ、時間を気にする事情があるとお互いに理解している状況ならば、腕時計をチラチラ見るのは自然だけども、そうじゃなくそこに居ない人からのメールなどのメッセージが入ってくるのに目が行くというのは、こと会話においてはマイナスになっていることって多いんじゃないかな~と思うけどもどうですかね?
でも、これもそのうち自然になるのかな?
いま、普通にやっていることだって、出たてのころは「失礼だぞ!」っていうものは沢山ありましたものね。
まぁ、ワタシは持たないようにします。
腕時計に競輪情報なんて入ってきたら絶対に目が行ってしまいますから・・・