kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

無趣味の効用

朝日新聞 6月30日

 

「趣味」に関する考察。

 

高橋秀実さんの考察が面白かった。

この高橋秀実さん、どこかで見たことある名前だと思ったら、

進学校開成高校野球部を取材した名著「弱くても勝てます」の著者でした。

 

今年の甲子園は「エンジョイベースボール」というキャッチコピーのもと、何かと物議をかもしましたが、これはやっぱり甲子園で優勝したからであります。

この「弱くても勝てます」だって、けっこうな内容なのですけど、今のところ「ほのぼの話」で受け入れられております。いつの日か物議をかもすことがあるのでしょうか。

 

さて、お題は「趣味について」の記事でした。

 

「趣味」はあった方がいい。

 

と思われている風潮だけども果たしてそうなのだろうか?というテーマ。

 

高橋さんは、ご自身を「無趣味でよかった」と語っている。

 

「無趣味だと相手の話に素直に感心できる」

 

「下手に趣味を持っていると、自分の趣味を語りたくなるでしょ。人生経験もあるんで、うんちくも垂れたくなっちゃう。話も長くなるわけでこんな迷惑なことはない。」

 

「趣味が合うと意気投合すると思われていますが、そんなことはありません。

趣味が同じだと同じであるがために、ズレが際立つ自分のほうが知っているという気持ちがこみ上げてきて、分かっていない相手が許せなくなったりするライバル心が起こって、どうでもよいことで張り合ったり、意見の対立が生じたりするんです。」

 

う~ん、思い当たるフシしかない。

 

というか、「やっぱりそうだよな・・・トホホ」という感覚。

 

とりあえず、私でいえば「野球」は一つの趣味なのだろうけども、野球界の「意地の張り合い」にはもう散々懲りている。

 

思えば、「あいつは野球を知っている(もしくは「知らない」)」なんていう言葉をよく聞いたものだけど、その手の議論でなにか楽しい話になっているところを見たことがない。

それでもまだ、自分がやっているプレーのこととかなら議論のしようもあるけども、「落合が評価してる」「野村監督がそういってる」などなど本人の意見はどこにあるのか?という議論の多いこと。

 

さらには「私はあの人とつながっている」などというような「野球人脈論」もある。

 

まさにどうでもよいことでの張り合い、意見の対立。結論として特に何かが生まれない。どちらかに敗北感が残るだけ。

(こんなことを書くと、「まさにお前じゃね~か」と教え子から突っ込まれそうだけど。)

 

 

そんな議論より、「俺はこう思ってやっているけど、どう?」というスタンスでのやり取りのほうがよっぽど楽しいし生産的だと思う。

 

・・・と、いかにも自分がイイ人そうに言っているが、それは私が負けた側だからの負け惜しみなのだろうな。

 

振り返れば、「自分の方が知っている側にならねば」という強迫観念のためにどれだけの時間とエネルギーを費やしたことやら・・・・

 

その割には、強気で押し切る場面なのにも関わらず、目の前の人の機嫌を損ねちゃいけないと戦闘を回避する弱気がなんとも情けない。

 

ただ、多くの野球関係者の状況を見ていると、そこで強気だった人のその後が楽しそうかというと・・・・う~ん、一部のエリートを除けばそうでもないなと。

(勝手に決めつけちゃいけませんが)

 

よし、もう野球で張り合うのを止める。

当然、学生とのやり取りでもそうしよう。

 

ちょっと話をずらして、

 

エンジョイ云々以前から、

「指導者は、勝ち負けよりも野球の楽しさを伝えることが大切」と言われている。

「確かにそうだな」とは思う。

 

そこで考える

「野球の楽しさってナニ?」

 

う~ん、けっこう難しいな。

自分自身がやっていた理由も「楽しいから」といえるかどうか・・・

 

ちょっと、自分の打ち込める趣味を探さねば・・・と思っていたのだけど、この記事を読んで考えが変わった。

 

この記事の最後に、「無趣味を味わう」の境地にたどり着くために、

 

ヨガの「屍のポーズ」が紹介されていた(笑)

 

これがなんとも充実するという。

 

よしやってみよう。