11月19日今月から毎週金曜日に行っているトレーニング講習会も3回目となった。 前半は、私の思うこと(このブログのネタみたいなこと)を話させてもらい、後半はトレーニング実習という構成にしている。18:20~21:00(だいたい)で行っている。
今回は、昨年、陸上末續選手とY教授とで行われた対談の映像をたたき台にして議論を行った。(2009年11月26日ブログ参照)
アスリートが幼少時から死に物狂いで勝ち取った栄冠も、現代の世の中ではアッという間に消費されてしまう。そんな中でもがいているアスリートの気持ちを理解して欲しい気持ちもある。
今回は約3時間も話してしまい、予定の実技を飛ばしてしまった(笑)
話したのは、アスリートは人としての付き合いを求めているということ。
これは、本学で技術を身につけるために学んでいる学生にとっては悩む価値のあるテーマであろうと思う。
さて、今回の内容の中で、特にミートから好評だった話を紹介させてもらう。
それは、私が新聞で、とある小学校の先生からの「かくれんぼ」についての投稿から感じた話であった。
「かくれんぼは隠れる遊びだが、見つけてもらいたいという遊びでもある」
私はこの記事で「なるほど~」と唸った。
誰もがやったことのある「かくれんぼ」だが、あれってどうなることが目的(勝ち?)なんだろうか?
完璧に隠れて見つからなかったら悲惨な遊びである。
鬼が一応『嫌な役』となっているが、隠れている方が実は弱い立場な可能性もある。
自分がその集団の中で中心的な存在ならば問題ないが、弱い立場だったりした時には不安倍増ではないだろうか?
「ホントに俺を見つけてくれるのか?」
私はかつて完璧に隠れすぎて最後の一人になり、「シメシメ」と思っていたら、
鬼や捕まったメンバーが時間経過とともに飽きてきてしまいそっちでドッジボールが始まってしまった!という苦い経験がある。
こうなると、こっちもどうやって出て行ったらいいのか分からない!(泣)
かくれんぼにも見つかるまでの適当な時間があるのだ。
幸い、この時は私も集団の中で発言権がある方だったので、
「おい!最後まで探せよ!」とヤケクソで吠えてドッジボールには参戦できたが、言ってて恥ずかしかった。
これ、力の無い子だったら可哀想な状況ですよね・・・
さて、こんな事って人間関係でも大いにありそうではないですか?
「かくれんぼ」してる人、多くないですか?
「隠れてるフリしてるけど、見つけてもらいたい!」
「こっちからは出て行けないけど、参加したい!」
「いじられたい!」
「そんなつもり無かったのに、上手く隠れすぎて探してもらえなくなっちゃった!」なんて人、多そうじゃないですか!
トレーナーと選手にしたって、
「ケガを隠したいけど、見つけてもらいたい」って心理はありそうです。
「何かあったら言って来い」
「こちらからは言わないよ」
これ、隠れすぎているうちに状況が次に流れていってしまい、出るに出れなくなってしまった人にとってはツライ言葉かもしれません。
「出てきたければ自分で出てくればいいじゃん」って「それ言っちゃ~お終いですよ」ってありませんかね。
私には言えない・・
世の中、隠れる場所はどんどん奥に行っている割に、「次行こう」と言いだすまでの時間はドンドン短くなってませんか?
随分と抽象的な言い方をしてしまっていますが、私が普段やっていることに説明がついたような気がしまして・・・
「あっ・・・俺って鬼やってんだ・・・かくれんぼしてる人を見つけてやらなきゃ出てこれね~ぞ!」って・・・
かくれんぼしている人が出てきやすい鬼になりたいです。