続きです・・・(前の,ら読んでくださいね)
緩いボールを打つトスバッティング(現場での通称はティー打撃、現場でトスバッティングと言われてるのはペッパーという)では、力強く振れるのに実戦では振ることすらできない。
これはどういう事か・・・?
私の解釈はこうです。
打撃の基本と言われる「よく見て打て」という話の真意です。
よく、ティー打撃などの注意で、「打つところを見ろ!」などと言われる。
しかし、私だけかもしれませんが、この意味は「打球の方向を見ようとなんて生意気なこと考えなくていいから謙虚にボールを見てろ」とか、「打球を見ると大きいのを打とうとしてスイングが崩れるから」というようななんとなく面白さを奪うような我慢させる類の指導だと思っていた。
実際になんだか窮屈だし。思い切り振るのを制限されているような気がしていた。動きにくい!
だから、うるさい指導者が見てないところでは力任せに振り回すことを快感にしていた。
その方が打球が飛ぶような気がしていた。
ひらめいたことは、
この「動きを制限されて動きにくい感じ」こそが凄いヒントなのではないかということだ!
つまり、『よく見る』ほうに重点を置くと『動く(ここでは振る)』が忘れられがちになる。
もっと言えば硬直する。
逆に『動く』方に重点が置かれると『よく見る』ということが置き去りになり易い。
むしろそれが当然なのではないか?ということだ!
つまり、基本的に『見る』と『動く』は別々のことである!
それを同時にやれることが凄い技術であり、
打撃練習の到達目標として取り組むべき最重要課題なのではないか?ということだ!
ここを無自覚でいると、全く答えの出ない無限ループにハマるのではないか?
つまり、野球の練習にはめると、ティー打撃をスイングの練習という「動きの練習」とだけ位置づけて身に付けたスイングで実際の試合で打席に立つとどうなるか?
全く振れなくなるのである・・・
なぜか?
何が来るか分からないから「球を見る」方に重点がいくからである。
見る方に重点がいけばからだは動きにくくなる。硬直するのである!するどいスイングはありえない!
・・・で、見ているうちに球は自分のミートポイントを通過する・・・で見逃してしまう。
または「あっ!いけね、打つの忘れてた」と思って慌てて振るもドン詰まり・・・
見逃しの三振を、「手が出なかった」と表現するが、まさにその通り!
ある条件にはまると、見る方に重点が行き過ぎて身体が硬直して動かなくなっちゃうのです!
打者の経験のある人なら「見えてたけど手が出なかった」ってありますよね(笑)
その状態にいかにはめるかが投球術であり、力関係なんですね!
この光景を傍から見てると、「何でそうなっちゃうの?」と不思議になりますが、
『見る』と『動く』の繋がり具合が技術レベルであると思えば必然なのですね。
つまり、最初は分かれている「見る」と「打つ」をハイレベルで同時にできる人こそが良く打てる選手なのだと解釈したら非常にスッキリしました。
つづきます・・・