5月4日
万博公園に一人で出かけた。
実は万博公園に行くのは初めての経験であった。
あの天才芸術家の「太陽の塔」も生で初めてみたが確かに腰を抜かした!
こんなのよく思いついて、作ったもんだな~と思ってたらやっぱり当時も賛否両論あったそうですね・・・
こういうのを意味がどうのとか言う事こそが意味が無いような気がしてくるが、私が万博の責任者だったらこんなの作ると言いだしてきた芸術家に対して『どんどん好きにやってください』などと言える度量があるのだろうか・・・・?
と考えてみたが・・・ ない・・・(笑)
さて・・・なぜ私がここまできたかというと、 学生時代に読んで感激した「知的生産の技術」(岩波新書)の著者である
梅棹忠夫(ウメサオタダオ)さんの特別展があるからである。
この先生の文章は読んでてワクワクする。
『もし学校において、教師はできるだけ教えまいとし、学生はなんとかして教師から知恵をうばいとってやろうとつとめる、そういうきびしい対立と抗争の関係が成立するならば学校という教育的効果はいまの何層倍にものぼるのではないかと私は想像している』
『発見というのは、たいていまったく突然にやってくる』
「『発見』はできることなら即刻その場で文章にしてしまう。できない場合にはみだしだけでもその場で書く」
「記録の装置としての手帳はいつでも身につけておかねばならない」
「カードに書くのは忘れるためである」
「カードを書くのは忘れることを前提に書く」
「自分というのは時間が経てば他人と同じだということを忘れてはならない」
「だいたいにおいて人間の記憶はあてにならない、記憶を頼りに知的作業をすすめようとする人を私はあんまり信用しない」
「本や書類はつんではいけない、必ず立てる、この原則を守るだけでも恐ろしく整理がよくなる」
「ものごとは記憶せずに記録する。はじめから記憶しようという努力はあきらめてなるだけこまめに記録するように努力する」(『知的生産の技術』より抜粋)
などと、ちょいと読み返してみたら三日坊主なモノだらけで恥ずかしくなってきた・・・・(汗)
さて、展示の内容・・・ この先生の生きざまが展示されていた。
なんというか・・・この先生とにかくカッコイイ!
私の思う男らしさといいますか・・・
しかも実際に私と同じ35歳の頃の写真を見ると精悍でホントにカッコイイ!
この先生は自分で直接見てくる!ということを徹底していたことがよく分かった。
世界中を自分で歩きまわり人と接していた。
そして、とにかく意味があろうが無かろうが徹底して記録する。それが大量に展示されていた。これは一見の価値ありであった。
またスケッチが抜群に上手い!イメージが湧きやすい。
スケッチに線引いて説明も振っている。
あくまで未来の他人の自分が分かるように書いている。
なるほど記録とはそういう事かと納得した。
書いてる時の自分が分かればいいというわけではない。
これは確かにとても重要だ!
本に書いてあった記録カードの実物展示(京大式)もあった。私には空想の世界であっただけにこれも感動した。
この先生は『君!それホントに自分で見たのか?』というのが基本だったという。
こんな先生に言われたらいい加減な事は言えない。
今回の展示や本などを見てなるほど!と思い、自分でもやってみようと思ったのが以下の言葉である。
「読書カードをつくる時に書くべき内容は読書によって誘発された自分のひらめきや着想であって、本の抜粋ではない。内容を見る必要があればその本をもう一度ひらけばよいのだから」
これって授業ノートなんかにも役立つと思いますがいかがでしょう?
とにかく、今回は自宅から万博公園までの所要時間の見積もりが甘かったために1時間程度しか見れなかったのが無念であった。
またいこうっと。
ちなみに組長式カードは投票カードの裏である!
手に馴染みがいいもんで(笑)