最近、私のところに相談に来てくれる学生さんが多い。
何の相談か?
ようするに人間関係である。
まるで流行かのように学生さんが言うのが、
「私は人見知りなので自分の思いを発信することができません」というものである。
さて、以前の私なら「思い切って飛び込んでみたら?」などと言ってしまっていたところだが、ちょいと彼らの時代背景を考えてみると、それは結構、酷な話というか、理解したうえで助言してあげることが必要なのではないか?と考えるようになった。
ところで、質問です。
小学校や中学校の時に、PTA名簿なる住所録は持っていたでしょうか?
『そういやあったな~』と思い出された貴方はおそらく25歳以上でしょう。
実は今の学生さんは「そんなもんあんの?」ってなもんなんです。
そう、例の個人情報保護がやかましく言われるようになった世代の境目あたりです。
つまり今の学生さんにとって『住所録』なんてものは存在しないのです。
これが何を意味するか・・・
例えば・・・ 「そうだ、いつもはあまり話をしないあの人に思いきって年賀状を出して喜ばせよう!」とか、「先生にお手紙を書こう!」などと言う事は不可能なのです。
勿論、「そんなの本人に聞けばいいじゃん」ってなもんなんですが、「住所教えて」と言った時点でサプライズは薄れますよね。
当然、『話しかけられないから、思いきってラブレター!』なんてのも書けたもんじゃありません(汗)
今の学生さんの世代は一事が万事この調子で、『個人の情報は探ってはいけないもの』という教えを最初から突き付けられて育っている環境なんですね。
最初のきっかけのとりにくい時代なんですね。
一方、学生さんを取り巻く社会からは『コミュニケーション能力の高い学生さんが欲しい』などと当たり前のように要求してきます。
『コミュニケーションの基本』って、相手を知ることから始まりますよね・・・・
『相手の事を知ろうとするのはイケない事だ!』と言われてきた学生が、
『相手を知るための力をつけろ!』と要求されているこの時代・・・
そりゃ~大人の話を真面目に聞いて実行しようとしてしまう人ほど悩みますわね~
実は我々大人世代が個人情報やコミュニケーションに対する意識で学生さんと違うのは、
我々は「個人情報保護」や、「ネット」や「携帯」が普及していく過程を知っているということです。
『そんなもんが無かった』時代から、成り立ってきた過程を知っているということです。
これは実に大きい話だと思っています。
例えば、ネットなどで個人的に非難されたとします。 それを気にしている学生に対して「そんなもんホッとけ!」というのは過程を知っている大人の感覚なんです。
ネットで叩かれる恐ろしさは、大人の想像を絶するようです。
個人情報に関しても、過程を知っている大人は「ここは聞いてもいいがこれはマズイ」というのを知っています。
しかし、学生は結論だけを突き付けられているのでその分別はつきません。
そりゃ誠実な人ほど、『話かけられない人見知り』になります。
むしろ、「自分のせい」にしてるだけエライんじゃないかとも思えてきました。
「組長!そうは言っても甘いよ、世の中はコミュニケーションとれない奴はダメだ」という声も聞こえてきそうです。
しかし、実は私が接している範囲では、このように解説すると、まるで憑きものが取れたように明るい表情になるんです。
「そうか、そういうことだったんだ!」
『よし!これからコミュニケーションにチャレンジしてみよう!』となるケースが多いんです。
人見知りなってしまうような、学生さんを応援するのが趣味になってる今日この頃です(笑)
そういや人見知りのはずだった、ODAさん・・・すっかり自信ついちゃったな(笑)