kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

田村さん登場!

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7月21日関西医療大学でキャリア支援特別講演が行われた。


通常の平日である。


講師はアラフォーの阪神ファンなら泣いて喜ぶ田村勤さん(写真右)であった。


 田村さんといえば、弱かった頃の阪神で唯一の希望の星であった左サイドの名ストッパーである。(床屋さんがこう表現しておりました)


 この企画は本学でも指折りのトラブル火付け役でもあるホル師のプロデュースであった。


火付け役によるスーパー火消し男の講演であった。(あんまりうまくない 笑)


 これは熱い!と思った私は自分の授業を急きょ変更させ、学生(柔整1年、鍼灸1年)と共に参加した。


私の授業はスポーツトレーニング論なので、『そのもの』だと思ったからである。


 田村さんは、現役を引退後に整骨院を開業されている


そういう意味でも将来の治療家を目指す学生さんには貴重な話であった。


プレッシャーのかかる場面について・・・ 田村さんの出番は常に緊張する場面であった。


つまりピンチであった。


東京ドームでの登板に足が震えたという。「正直いって、穴があったら入りたい」という心境もかなりあったのだという。


しかし、そういう場面こそが「自分の出番である」ということを悟った時、


「むしろピンチが俺にとってのチャンス(出番)」と思えたら、『ピンチを喜ぶ気持ち』が芽生えたのだという。


 「失敗できないプレッシャーへの構え方」について田村さんは、


『2度までは失敗してもなんとか見てもらえるが、3度やったら2軍(クビ)になる』という意識を持ちながらやっていたという。


この言葉は、講演中に星林の結果がミートよりメールで知らされた私にとって身が引き締まった。(2度まできた)


プロ野球選手の取り組み姿勢についての話も非常に刺激的であった。


藤川投手とのやりとりのエピソード


田村さん:「なんでそんなに凄くなったの?」


藤川選手:「タムサンだって一緒じゃないですか~毎日、ブルペンでずっと投げこんでれば、いろいろ感じるでしょ?それですよ~」


田村さん:「あ~なるほど」


・・と非常にシンプルな会話だったが妙に田村さんは納得したという。


私は、ちょっと前にある先生とした『一流を伝えられるわけがない』という話を思い出した。


 また、安打製造機と異名をとった和田選手が毎日、バットを振り続け、「1日でも練習で打たないと、打てなくなる気がする」と呟いていたことや、打席に入る前にはベンチ裏で相手のデーターをじっと読み込み「ヨシッ!」と意を決して打席に向かっていたという話も聞けた。


 また、マシンを自分の頭に向けてセットしてそれを打ち返す打者の練習を見た時には、「こんな気合で打者が来るんだったら、投手の方は相当に覚悟して投げねば!」と決意したそうだ。


(次の日、この話に感化された私に吉村くんが被害に合った 笑)


 うちの学生にとっても、刺激になったのは、


「ノーアウト満塁で登板するより、柔整の国家試験の方が緊張した」というエピソードであろう。


 勉強している3年間は教科書を肌身離さず持ち続け、風呂にまで持ち込んで勉強していたという。


3年で使いこまれた教科書はまるで古文書のようであったという。


 3年生のミートの教科書が新品同様なのとはまるで違う!(怒)


 


 現在、田村さんは兵庫県整骨院をしながら、ジュニアの野球指導にも力を注いでいる。


 写真は、I井くんが、「選手のモチベーションのあげ方について」の質問をしていたところである。


「いろいろ工夫してるが、模索しながらです」と田村さんは誠実に応えてくれた。


 あの伝説の投手でさえ、他人のモチベーションアップには苦戦しているのだという。


 こんな人でも試行錯誤しながらならば、私なんかはもっと迷わなければいけないのは当然だ!


ホル師!素敵なチャンスをありがとうございました。


 私も運がある!