最近、私の授業でスポーツドキュメンタリーの番組を見せて感想を書いてもらっている。
特に、日本の過去の偉業を成し遂げたアスリートの事を知っておくのは、トレーナーなどで活動する時に何かしらの役に立つと思うからだ。あとは、スポーツ界の歴史を知るきっかけにもなる。
前々回は、自転車の中野浩一さん、そして前回はレスリングの高田裕司さんと、その後輩でソウルで金メダルを獲った佐藤満さん(写真中央)のドキュメンタリーを観た。(写真は2年前に大会を見学に行った時に撮影したものである。2009年11月15日ブログ参照)
番組の構成は天才的な選手だった高田さんが全盛期の頃に出場するはずだったモスクワ五輪がボイコットに巻き込まれ出場できず、ようやくロス五輪に出れたと思ったら今度はソ連の最強ライバルの方がボイコットをしてしまったりしてその力を証明する舞台が整わなかった。
そしてその魂を後輩の佐藤満選手に託したというストーリーであった。
学生の感想の中で多かったのが、高田選手が現役時代に練習をいろいろ工夫していたというエピソードがあり、コメントで「人と同じ事をやっていても意味がない」というセリフに、「考え方が凄い」という感想が多かった。
「人と違うことをする」このセリフはアスリートに限らず、クリエイターなどもよく使う言葉だ!カッコいいし、言ってみたいセリフである。
しかし私はカッコいいと思う気持ちの反面、この言葉を聞かされるたびに
「じゃあ基本練習ってなんじゃ?皆に同じことをやらせるではないか!それが大切なのだ!と言ってるのと反対の言葉ではないか?」
という疑問をもっていた?(私だけか?汗)
『人と違うことをやらなきゃ勝てないのに、皆と同じ練習をやらされるというのはツマラン!』というのが基本練習が苦痛になる要因だと思う。
なんだか
「お前みたいのは勝つ事なんて考えれるレベルではないのだ」
などと言われているような気すらする。
だが、ふとこの番組を観ていて解釈を自分なりに考えた。
工夫した練習の例としてあげられていたのは、タックルの鋭さを増すために足にチューブつけて練習したというモノで、マンガからヒントを得たのだと言う。
私は思った・・・「マンガにあったなら誰かが発想してるじゃん、しかも足にチューブって結構思いつきそうだな」・・と
ってなところから私が考えたのはこうです。
言葉は「人と違うことをやる」ですが、その心は
「自分で考え抜いた(編み出した)練習をする」ということなのではないかと。
つまり、「人がやってるか、やってないか」なんてのは実はどうでもいいことなんじゃないかと。
高田さんが考えて、このやり方を『他の選手はやってないだろうな~』なんて探したわけがない(笑)
それを言葉だけ捉えて、『人と違うこと探し』をしたってしょうがない。
それは言うなれば、『人と違う髪色にしたいと思って周囲を見回したら茶髪が多いからピンクに染めた』というようなのと同じで「ピンク」なことに重点がないのと同じだというレベルである。
こういうのを「人と同じ事をしても意味がない」と言っているのだと思う。
「色を変えてるじゃん」という話ではなく、周囲に合わせて色を選択しているという時点である意味、「人と同じ(合わせてる)」だと思う。
そう考えると、同じ練習をしていても上手い奴と下手な奴が出現する理由も分かる気がしました。
プレーを本当に突き詰めて考えていくとおそらく、「これだ」というブレてはいけない基準となる動きなりが出てくるのだと思う。
だから達人にとっては考え抜いて辿り着いた練習なのだが他人から見たら
「なんだよそれ、皆がやってる基本練習じゃん」ってなるが、
本人は皆がやってるからやってるのではなく、
「突き詰めたらこれなのよ」となるのではないだろうか・・・
あ~読みにくい文章ですいません。勝手にいろいろつながって盛り上がって書いたからこんなになっちゃいました。