先日、指導しているS高校の練習試合を観戦したあと、登板した投手と話をしているうちに考え付いたことを書いてみる。
その投手は、ブルペン(練習)ではいいのだが、試合になると肩が開いてしまってダメになってしまうのだという。
こんな話・・・野球に関わっている人なら「あ~よくアルよくアル」ってなもんだと思う。
いわゆる「ブルペンエース」ってやつですね・・・
よくやるのは
「フォームの修正だ~」とかいって鏡の前で
「肩が開かないように抑える」ような事を意識してシャドーピッチングと呼ばれる「素振り」を繰り返してみたりする・・・
でも、あんまり成果が・・・
ブルペンエースと呼ばれる人にはいわゆる「マジメな人が多い」というのも「野球あるある」の一つである。
メンタルが弱いなんてのもよく言われる・・・
ふと思う・・
『練習ではできることが試合ではできない』という課題に対して、練習でのフォーム矯正をするというのは
『やっていること合っているのだろうか?』
もっといえば、
「やるべきこと違うんじゃないか?」
『課題をはき違えているんじゃないか?』と・・・
こんなことを考えるのは、私自身が試合でフォームが崩れることを「フォームの課題」として捉えて散々コーチをしてきた経験からである。
当時の私は「試合で出来ないということはまだ自動化されていないからなんだから、もっとやりこめ」という発想であった。
確かにそういう面で説明できる現象もあるのだろうけども、
野球のピッチングなんていう「いい加減」なパフォーマンスにおいて
「結果を出している投手とそうでない選手」の違いってそれでは説明できないような気が長年していた。
「練習ではできるのに試合だとダメ」という投手は試合に対する考え方が間違っているのではないか?というのが最近の私の考えである。
そういうと、「試合に対しての考えが甘い」というのではないかと思われるかもしれないが、むしろ反対で「試合でのピッチングを崇高なものに考えすぎているのではないか?」ということだ。
なぜそう考えたのかというと、投球フォームにおける「肩の開き」とは間違いなく「リキみ」からくるものである。
それでは、なぜリキむのかと言えば、「より強い球を投げねば!」と思うからである。
ブルペンでは入れないような力を入れるからフォームが崩れるのである。
それを違った言葉でいえば
「練習でやったことないこと(未知なこと)をしようとしてる」ともいえるのではないか。
そりゃ練習でやったことないことをぶっつけ本番でやれば、見たことない結果になって制御不能になります。
安全使用のカローラで練習しておいて、ぶっつけ本番でターボ車に乗るようなもんかもしれません。
未知なことをやるのは不安があります。
特にマジメな選手は確実な積み上げを得意としているのに、やっていることは「未知への挑戦」みたいになっているのです。
結果、「コツコツ真面目にやっているのに試合で報われない投手」ができあがります。
そんなとき、「マジメなのに可哀そうに」と同情するのではなく、
「コツコツやってきたことやってね~じゃん、試合になったらやってきたことじゃないことやってるって、フマジメか?」
と誰かがツッコんであげたら案外、道が開ける投手が多いんじゃないか?
そんな気がします。
『ブルペンよりも試合は上等な球を投げなければならない』という思い込みが、より試合で結果の出ない投手への道になっているような気がします。
「練習より試合で勝てばいいんだろ」と勝っている投手がいいますが、それを聞いた勝っていない選手は「だからどうすりゃいいんだ?」となるでしょうね。だから「練習よりいい球を投げねば」となってリキみますね。
いかに『練習でやってきたことの範囲内の球で勝負するか?』ということに意識を向けられるかが勝負なのではないか?
そんな気がします。
これでも話が抽象的だと思われますよね。
でも投手をやっている人なら納得してもらえる「あるある」を紹介します。
『試合前のブルペンで調子が悪くて、どうなることかと思っていたら試合の結果は案外ヨカッタ!』
こんな経験をしている人は多い。
これはタマタマではなく、調子が悪いので、もはや「カッコよく投げたい」という欲よりも、
「なんとか誤魔化しながら試合を作らなければならない」ということに意識が切り替わっているために、「自分がいい球を投げる」なんてことは置いておいて試合に集中しているのだと思います。
結果、多少ヒットを打たれようが、エラーをしようがキレることなくプレーを続けていくのだと思います。
実は勝っている投手は「これが試合での心得」と思って別に調子が悪くなくてもやっているのではないでしょうか?
こんなことを考えていると「試合のつもりで練習する」という定番のセリフの濃さも変わってくるような気がします。
こんな話で写真のN投手が化けることを祈る春です(笑)