スポーツを語る切り口は色々あるが、「スポーツは出来る人のためのもの」というイメージが根強い学生さんは多い。
今日、私の講義で、「スポーツはコミュニケーションになる」という話の中でとある小説の中にあったキャッチボールの話をした。
伊集院静さんの作品なのだが、
キャッチボールで暴投した時に受け手側が拾いに行くシーンを描いていた。
「すいません」と謝る相手に『ああ、いいよ、いいよ』と手を振って拾いに行くあの後ろ姿がなんか好きなんだ。
という内容だったと記憶している。 キャッチボールをしたことある人なら「あ~よくあるな~」という場面ですよね。
私は野球のこういう面を拾ってくれるこの作家さんの小説が嬉しくてたまらない。
学生さんも共感してくれた。
「あの感じってなんだろね?(笑)」
と学生さんとニッコリした。
ありきたりな言葉で言えば「優しい気持ち」なんでしょうが、この優しさを感じれるキャッチボールはなんだか温かい気持ちになれますよね。
ついつい『私が被害者だ、あいつが加害者』だと考えてしまう事柄が多くなりがちですが、暴投されても拾いに行く気持ちってけっこう持ってるものじゃないでしょうか。
それが現れるキャッチボールってなんだかいいな~って思います。
面白いもんで、同じ暴投でも、上手い人にテキトーというか、ナゲヤリに投げられた暴投って拾いにいくの腹立つというか、悔しさがいっぱいになるんですよね。
逆に一生懸命に自分に投げてくれた暴投を取りに行くのってそんなにイヤじゃないんですよね。
あれってなんですかね?
やっぱりそういうのを感じるセンサーがあるんでしょうね。
そういうのがギスギスした関係から「イップス」なんてのも出てくるんですよね。
私は中学生を指導していた時、ピッチャーが暴投して藪の中に入ってしまったボールをキャッチャーが懸命になって探している姿を、ついフォームを撮影するために回していたビデオで追いかけて撮影してしまっていたことがある。
その映像は後に私にとってお宝映像となり、その映像を観て癒されていた時期があります(笑)
あの『アッタ~!』とボールを見つけ出した時の顔がなんとも言えないんですよね。
暴投したピッチャーへの文句なんて全くなかった感じがとても気持ち良かったんです。
キャッチボールは単なる投球動作の連続ではないですよね。
一人でネットスローしているのとは明らかに違いますもんね・・・
大学の昼休み・・・
グラウンドでキャッチボールをしている学生を観ながら飲む缶コーヒーが美味しい(笑)
暴投を拾いに走って行く学生がニコニコしてる(笑)
学生さん いいキャッチボールしてるね!
社会人のみなさん
キャッチボールしたくなってきたでしょう(笑)