ちょっと前の話だが、東海大学時代にお世話になった植田先生(右 東海大教授)が大阪に来た時に声をかけてくれて一席もうけることができた。
先生は、ご自身も陸上跳躍競技でロス五輪日本代表だったほどのアスリートだった先生である。現在は陸上部のコーチとして数々のアスリートを指導してきている。
植田先生の語り口は非常に柔らかく、紳士的でいわゆる野球的指導言語の中で育った私にとっては逆にインパクトが強い先生である。
植田先生はコーチング論の研究をされている。
今回の席の中で、大変印象に残り、授業で学生に披露したらかなりの反響があったのでここに紹介したいと思う。
それは「運動の修正指導」に関しての話である。
指導者が選手の運動を修正していく時の4つの階層についての整理である。
指導技術レベルとも言えるかもしれない。
第一段階 「〇 もしくは ×」の指導
第二段階 「欠点の指摘つき」の指導
第三段階 「修正方法の指摘つき」指導
第四段階 「本人の感覚に入り込む」指導
第一の階層は「よし」とか「ダメ」とかの正否の判断しかしない指導である。
記録や結果だけを見て判断する。
いわゆる結果論というやつです。
このレベルならば運動指導の専門家は必要ありません。
その次の第二段階は「欠点の指摘」が加わる段階。
第一段階よりは専門性があるようだがその運動に詳しい評論家でよい。
これをすることが指導者だと思っているケースがしばしば見受けられるが、欠点の指摘は必ずしも運動の修正を保証しない。
「なんでいわれたことができないんだ!」と怒る指導者はこの段階。
第三段階の方法の指摘が無い欠点指摘は単なる無責任な悪口になる可能性すらある。
・・・で 第3段階の指導はかなりいいですよね!
「こうなってるからこうした方がいいですよ」という指導・・・
これが指導者として指導のゴールだと思いませんか?
「修正方法まで指導した上でできないのは選手の責任、こっちは言うべき正しい理論は伝えた・・・なのにできないのはもうこっち(指導者)の責任ではない」
そう思いそうではないですか?
実はその上があるんです。第4段階の「本人の感覚に入り込む」指導です。
これ、やってる人はやってます。
結果を出そうと思ったら・・・(つまり指導した選手本人が変わるということ)
「どんな感じでその動きをしているのか?」
「どんなプロセスがあってその動きになっているのか?」
その感覚に入り込んで寄り添わなければ、本人の変化は起きるわけがありません。
同伴した大将君いわく「そういや先生の指導もそんな感じですよね」と言ってくれたのですが、どうやらプロなんかに指導している時の私はそんな感じらしいです。
「凄い話ですね!ありがとうございます!」
と感激する私に さらっと植田先生は言いました
『運動学の教科書にあるよ・・・』
帰って慌てて書棚を探す・・・
「運動学講義」(金子明友・朝岡正雄 編著 大修館書店)
あっ!ちゃんと書いてある・・・・ 教科書って凄い!
それにしてもこの本は熱気が凄い!
緒論からして震えた!
『やろうとしてできない生徒が悩み、苦しんでいるのに、参考データを提示するだけで、あとは冷ややかに監視したり、あるいはなだめたり、すかしたりするだけの教師でよいのだろうか。
それでも運動を指導していることになるのだろうか。
教師が生徒の痛みを放置しておけない切迫性をもち、生徒が苦しみながらもできようと努力しているその共通の場こそ、運動指導の前提におかれるべきではないのか。』
教科書を作っている人の気迫を今まで考えたことが無さ過ぎた自分に反省・・・・