いつだったか、へこんでいる学生と話をしたときのこと・・
勉強が分からないからと意を決して先生に質問に行ってみたものの自分の疑問をナント言っていいやら分からずモタモタしてしまい、先生から「何がワカラナインだ!さっさと言え」とイライラさせてしまったのだという。
「何がワカラナインだか分からないんです」 と彼は言う・・・
ちなみに言うとこの学生さんは成績的にはナカナカ優秀な学生さんであった。
サボりたいタイプとは違うということを話の前提としておきたい。
しかし、考えるほど、質問って難しい。
自分の思っていることを言葉にすればいいだけでなく、相手に失礼が無いように配慮もせねばならない・・・
よくあるパターンで「何か質問あるか?」と言われて、何も言わないと
「何も質問が無いのか?意欲が無いな~」などと言われ、
ほんじゃあと、何とかむりやり絞り出して質問すると
「くだらねえこと聞くんじゃねえ!」と怒られるパターン・・・
もう意気消沈もいいとこである。
考えてみれば、「〇〇がこのように分からないんです」といい質問を理路整然とできるようならば、その疑問は本人にとってはストレスになることはないと思われる。
そこまで整理できてたらあとは「自分で調べりゃいいでしょ?」ってことが大概なのではないだろうか。
ツライのは
「このモヤモヤした疑問は一体なんなのか?」という段階の時に、
「言いたい事があるならさっさと言え」と言われてしまうことだ。
「何かあったら質問に来い」とは教員がよく言うセリフだが、ちゃんと質問の形が整ったならば、「ナンダ、これなら〇〇学の本を読めばいいな」などということになり教員のところに行く必要は無くなるケースがほとんどだろう。
何でもカンでもすぐに質問に来れるタイプの学生さんもいれば、ナカナカ来れないタイプの学生さんもいる。
来れないタイプの学生さんは、自分のモヤモヤを言葉にできず、先生と気まずい空気になるのがイヤで苦手意識を持っていることも多いようだ。
私は一応の心がけとして、そう簡単に自分のモヤモヤを相手に伝える言葉にはできないと思うようにしている。
相手がモタモタ、モジモジしているような時ほど、「どんな感じかな?大体でいいぞ」というスタンスを心がけ、「こんな辺りが分からないのではないか?」などと
こっちが質問の文章を考えたりしている感覚だ。
理屈から言えば、学問とは「問い」を「学ぶ」と言うくらいで、「何がワカラナイのだろうか?」と自己と格闘すること自体が学問なので
「モヤモヤ、モジモジ、あ~イラつく」を味わうこと自体が大切なのではあるが・・・
私は「そのモヤモヤは悪くないぞ!」と励ましている感覚でもある。
「そんなのアマイよ」と言われてしまえばそれまでなのだが、
そこを勘違いして「自分が頭が悪い」という負のスパイラルで消えて行く学生さんを食い止めたい。
ところで学生さん、こういうことを踏まえておくのって医療人は必要なのではないでしょうか?
患者さんって自分の不調をちゃんと説明できるものでしょうか?
「あの・・・その・・・調子が・・・」なんて感じになるのではないでしょうか?
その「あの・・・」とか「その・・・」とかいう感じのニュアンスを汲み取りながら問診していくことが大切なのではないでしょうか?
学生に限らず患者さんも「この感じをなんとか汲み取ってもらいたい」と願っているのではないでしょうか?
私が患者の時はそうです・・・
「相手は伝えたい事を言葉にできていないのではないだろうか?」
そんな構えがあったらトラブルも少なくなるような気がします。
・・・とこんな事を言っておりますが、私ができていると言っているわけではありません。
むしろ、学生さん相手に自論を長々と話してしまい、結局学生さんの疑問を何も晴らしていないことが多い自分の反省です。
(組員ならびに、I井くん、K原くん、ごめんなさい)