さて寝るべ~と思っていた日曜の夜・・
いつも鳴らない携帯が鳴り、表示に名前が出たのはノブであった。
このノブとは、私が13年ほど前に指導していた相模中学野球部の選手である。
なんでも、中学の監督の名前で検索したらこのブログにヒットしたという・・・
そんでもって読んでいるうちに電話をしたくなったという・・・
このノブ君は、私が投手指導の駆け出しだったころに、最も気合いを入れて接した選手の一人である。
なんてったってこのノブを何とかするということを修士論文にしたくらいです(笑)
この頃の私は大学院生で、まぁ~ギラギラしておりました(笑)
「俺が指導して、見捨てられた選手を俺の手で絶対にいい選手にしてやる!」という気合いがありました。
気合いはありましたが、じゃあ上で通用する選手が出来たのかと言えば、笑われても仕方ない結果しか出ませんでした。
しかし、その日々が今の指導の礎になっていることは間違いありません。
ノブは非常にクセのあるギクシャクした投げ方をしておりました。
しかしながら肩甲骨の柔軟性が高く投手としてならば試合に出ることができるのではないかと思っておりました。
なぜそのように思ったのかというと、彼がボケ~っとして何気なく立っている時に、片手を腰の位置で背中に回して反対の腕の肘を掴んでいたのです。
この姿勢がラクだというのです。
こういう人は肩甲骨の柔軟性が高く投手に向いている素質の一つです。
そんな事から投手としての素質を見抜いたという言い方もありますが、短距離のダッシュがあまりない彼は野手としては少々苦しかったという事情もありました。
てなわけで、彼のギクシャクした動きをビデオに撮ったりしながら指導を重ねました。現在の私であればもうちょっと合理的に修正できたと思いますが、当時の私には「なんでそうなんのよ~?」と泣けてくる日々でもありました。
しかし、私は変な習性がありまして、誰もが「あいつはいい」という素質を指導するのは確かに楽しい事なのですが、それと同じくらいに、ヘタクソなのに必死について来てくれる選手を俺の手でなんとかしてやる!という状況に燃えるところがあります。
今思えば、この習性により中学生を気合い入れて指導したことが現在のフォームを診る力にかなり繋がりました。
もし私が最初から素質に恵まれた投手ばかりを指導していたら「ダメなやつはダメよ」であまり考えない指導になっていたと思います。
代わりの選手はいくらでもいるという環境より
「こいつでなんとかやりくりしなきゃしょうがない」という状況は工夫をするし、贅沢を言わない割り切りもできます。
フォームの中でここだけは押さえようというポイントについてもあまり多くを言えない分だけ真剣に考えて絞るようになりました。
結局これがプロへの指導に完全につながっています。
結局、プロへの指導にしてもこの原点の部分のブレ幅が小さいというだけで指導項目としては同じになります。むしろそこのブレがスランプに繋がっているので、そこを気付かせるというか思い出させるのがプロへの指導の大半となっております。だから私の指導を受けたことのある選手が私がプロへ指導しているところを見たら、「あ~同じこと言ってら~」ってなもんだと思います。
あとはそのことに対する重みをどの程度に感じるかなだけだと思います。
それにしても、約10年連絡の無かった教え子から連絡をもらったりすると「こういうこともあるのだな~」と不思議な感じがします。
ノブとは師弟関係でしたがプッツリと連絡が途絶えていたので、「切ないな~」などと思っていましたが、
なまじっか熱心に接してもらっていたからこそ逆に連絡しにくくなる状況ってありますものね・・・
そう考えると私も連絡しにくい恩師は沢山います・・・
私、ホントについているな~と思うのは、ちょいと一人で切なくなっていると不思議と過去の教え子とかから連絡を貰えたりして「もうちょい頑張ってみっか~」となるんですよね。
単純なんですね(笑)