先日、ナカナカ結果の出ない選手を励ます機会があり、その際に本をプレゼントした。 そんな時のチョイスとして囲碁将棋の名人の本を選ぶことが多い。
てなわけで、この前は将棋の羽生名人の本と、囲碁の藤沢秀行名人の本をプレゼントし、それを読んだ本人から大変に喜ばれている。
行きがけの本屋に無かったので自分の持っていた手あかだらけの本を渡すハメになってしまったのだが、これらの本は私の元気本でもあったので、またネットで買いなおすことにした。 検索しているとナカナカ面白い本が見つかったのでそちらも購入した。
『勝負』 升田幸三 (中公文庫)
強烈に面白い! ぜひ読んでもらいたい。(いや読んでもらいたくないかな 笑)
この本の中から、授業で学生に話をすると大変に反響のあった話を紹介したいと思う。
「先輩がこわくなってきたりしだすのは、ふしぎに将棋がいちばんのびる時期です。(中略) やっぱりこわい人がいることが、人間、幸福なんじゃないですか。こわい人だらけのときが、一番幸福なんだ。 それを不幸と思うようでは底が知れている。なかにはこわい人をなくしようと思って、結局は自分の首にみずから刃を当てるようなバカモノもいます。 もっともこういうのは、いつの時代にも出てくるもんだけどね」
これ、私は非常に感動しました。 私、コワイ人沢山います(笑)
私にとって真っ先に思い当たるのは中学のU先生であります。
この先生、他の一般生徒からみれば「いい先生じゃん」ってなもんです。
「お前にはあの先生の怖さはワカラン」というのが私の思いですが、この時に言っている「コワサ」ってなんなんでしょうね。
「なぜ俺だけあの先生にいまだにこんなにビビっているのだ?」と思い続けて24年・・・
ついに答えにめぐりあえたような感動があった。
こんな感覚を学生に私はこう説明した・・・
「例えば、●●先生を高校生としてオープンキャンパスで見たときは優しく感じなかったかい?少なくとも怖くはなかったでしょ?それが、いま怖く感じるのは、先生が変化したわけではなく君らが道を究める過程をスタートしたということなんじゃない?むしろその怖さは悪いものではなくて、歓迎すべきなんじゃないの?」ってことである。
ちょうど、この時期は夢にあふれて大学に来たが、先生が怖く見えてきて「私は選んだ道が違っていたのではないだろうか?」と悩む時期なのである。真剣な学生ほど悩む。
ちなみに我が組員は、私のことが怖くて仕方ない(笑)
2年のフジノくんなどは、原付で私の車とすれ違った時に恐怖で瞳孔が開いてしまうほどであった(笑)このフジノくんは私と会うくらいなら勉強しているほうがマシだということで最近は勉強に非常に熱心になった(笑)
学生時代という修行時期に「コワイ人」を何人作れたか?
というのは学生生活充実の一つのバロメーターであろう。
この感覚は分かる人にはわかると思うが、ワカラン人にはさっぱりの話だと思う。
ここで言っているコワイにはかなり『尊敬』が入っている。
尊敬が強すぎちゃってひっくり返ってコワイまでいっちゃった。
という感じという表現でも近いような違うような・・・
「そんなにイヤなら辞めればいいじゃない」
とワカラナイ人は言うのだが
「そういうことでもないんだよな~」という感じである(笑)
コワイ人だらけの人生です(笑)
ちなみに体罰容認とかとは全く違う次元の話をしていることだけは理解してください(汗)
コワサを感じるのが実力かもしれませんね・・・だから謙虚に学べるかもしれません。
怖さを知っているのが専門家?なんてこと言えませんかね。
格言
『歩にとられるバカ桂馬』(離れ業では強いがフトコロに飛びこまれるとすぐやられる)
私のこと?(笑)