高校野球に対しては完全に傍観者になっておりますので気にしてなかったのですが、某高校のカット打法、および2塁からのサイン盗みが随分と話題になっていたみたいですね(汗)
ネットのコメントなんかをお気楽に観覧しておりますと、
「スポーツマンらしくない」「汚いプレー」などということになっているんですね
しかも「見ていて気分が悪い」というような、見ている側の理屈としての評論が随分と多いんだな~と「へ~」っと笑ってしまう感じです。
いや、私はなにもこれらの状況に、賛成とか反対とか言うつもりは全くなくて、「お~時代は変わったんだ!」と目を丸くしているという感じです。
まず、出塁するためにカット打法を用いてファウルをして球数を稼ぎ、フォアボールを選ぶ。
私は、これを見たときに「ほ~凄いな~」などと感心してしまったくらいの呑気さでありました(怒ってる人すいません)
野球の歴史を書いた「ベースボールと日本野球 佐山和夫著 中公新書」から戦前の野球観(打撃論)を述べてみる。
飛田穂洲著 「ベースボール 攻撃編 1927」からの引用
「四球を得て一塁を占領する事は、安打を得たる以上打者として成功したるものである。彼は投手に多数の投球をなさしめて間接に非常な利益を味方に与えたばかりでなく、スコアのチャンスを造った勇士であることを忘れてはならぬ」
いかがでしょうか?(笑)
・・・そうです。
自分が楽しむスポーツじゃないんですよ!高校野球は!
力なき者がなんとかして大国を相手に勝つ方法を探してきたんです。
自分が気持ちよくなるためにバッティングするなんてのは罪なんです!
この精神性だからこそ、軍国主義の時代も生き残ってきたんです。
いや、私、なにもそれがいいと言っているわけではないんですが、少なくとも日本において野球が生き残っているのはそうした先人たちが何とか継続してくれたからなんだ、ということは知っておいていいんではないかと思ってます。
だから公共放送で全国放送しても誰も文句言わない雰囲気なんじゃないですかね。
「私」ではなく「公(社会)」のためにプレーする精神ということで。
あと2塁ランナーがサインを盗んでいることは大罪であるみたいになっておりますが、私が選手だったころは「2塁ランナーの仕事」という風になっておりましたが、ずいぶんとヒステリックな論調で否定されているんですね~今は(汗)
松○大輔選手のときの甲子園ではP○学園のサードコーチャーがサインを盗んだということがNHKスペシャルで功績として称えられていましたけども・・・(笑)
あとはスライディングなんかでスパイクの歯を上に向けたら危険行為としてかなり非難されますが、ゲッツーになりそうになったらベンチから「つぶせ~!(つまり野手に向ってスライディングしろ)」などと声がかかるものでもありました。
まぁ、ダラダラと書きましたが要するに「私(個)」を捨てて「公(チーム)」のために、どんなに罵られようが徹するマシーンと化すのがこれまで高校野球の精神でありました。
そりゃ~会社にはいい人材ですわね~営業職に野球人が沢山いるのがわかりますでしょ(笑)
しかし、これからは正々堂々とやり、その上で負けたらしょうがない。
という野球に変わってくるでありましょうか・・・ まぁならないですね(笑)
プロ野球の価値が半減している昨今、甲子園がクライマックスという風潮がますます強化されるかもしれません。
本音と建前が織りなす見事なヒューマンドキュメンタリー 「ザ!甲子園!」
かつて5連続敬遠で物議をかました監督の名言
「潔くやって喜ぶのは客と相手側」 とはこれまた見事!
どれがいいとかではなく、よくぞこういう企画に仕立てあげたな~という感動です。
「勝っても負けてもどっちでもええよ」となったらそもそもこんなに経済が回りません(笑)
例え罵られようとも勝ちたい!と思わせる企画にどう持って行けるかですもんね。
あんまり勝ちにこだわらずに・・・などというセリフを連盟がコメントするこのコントな感じが私は大好きです(笑)