kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

ドウ思いますか?に参戦

甲子園の高校野球が始まっておりますが・・・

新聞の投書欄の記事が面白かったので参戦してみる。
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内容は75歳の男性から・・・
高校野球改善四つのお願い」という内容であった。
概略を書くと
本塁打を打っても派手なガッツポーズは控えてほしい。淡々と走るほうがカッコいい
②決勝で勝ったときにマウンドで一本指で天空を指すのは、はしゃぎすぎではないか?
③監督がメンバーを「あの子」「子どもたち」というのをやめてほしい。「うちの投手」などと言って欲しい。
ブラスバンドの曲が定番すぎやしないか?新曲やらない?

・・・という内容で。

それに対して「私もそう思う」というご意見と、「いいじゃね~かよ」という意見が掲載されていた。

私としては・・・

この投書をした方の気持ちは痛いほどわかる・・・のですが、

残念ながらもう時代が変わっているので仕方ないのよお父さん・・・と慰めながらビールを注いであげたい心境です。

この投書をした75歳のお父さんへ・・・
現在の高校野球はエリートスポーツというか、プライドのある青年たちの戦いの場ではなく、現代の少年のとある一つの人気スポーツのお祭りなのです。

日本における野球の歴史をかるくなぞると、遊びで始まったのがアメリカのベースボールの起源ですが、日本では現在の東大の先生が学生にベースボールを指導したというのが始まりといわれています。(諸説ありますが)

要するに、その時代のエリートが夢中になっていたわけです
ですから、かなりのプライドというか、さらにそこに武士道精神なども加わり、
そらもう「遊びじゃね~んだ野球ってのは!」となっております。

だから生き残ったともいえます。さらに戦時中はなんとか野球を存続させるために「野球はあそびではなく人間教育である」という論理を打ちたてて存続させた経緯もあります。

この経緯は私は恨んでおりませんし、むしろ先人に感謝さえしております。「野球がある」ということに対して・・・

甲子園の入場行進が「軍隊みたいでやだ」という時代のご意見もありますが、「それだから存続している」ともいえるわけです。

日本は「あそび」は「悪」であり、いい歳して表で堂々とやるものではない!という意識がどうしてもありますから。

・・・あんまりこれで書くつもりは無かったのですが、前提の話で。

で、文章に戻しますと。

①のガッツポーズの問題

剣道では、1本を取ったけどその後で「礼」が終わる前にガッツポーズをしたものだから「取り消された」事例もあります。
・・・こんな小さなやつでも

というような上で、高校野球をどう見るかですが・・・

やっている選手を「子ども」と見れば「元気でいいじゃない」となるでしょうが、
「一人のエリート青年」とみれば
「お前、そんなに立派なんだからそんなことで安いマネすんなよ~おじさん悲しいよ」と思うのではないでしょうか。

この投書に反論している39歳のお母さん「嬉しいんだからいいじゃない」というご意見はまさに「お母さんが子どもを見ている観点」ですね。
プレーより子どもが嬉しそうな顔しているのが嬉しいという。

その気持ちも分かりますが私としては
「だんだん少年野球大会になってきたな~」なんて思ってみてます。
甲子園も「お父さんのものからお母さんのもの」になってきているのかもしれませんね。

選手のほうも、もうそれに慣れていて親の前で平気で感情を表現しますね。

これはクラブチームが全盛になってきたからかな~なんて思ってみてます。

親のサポートを直接受けながら運営していますので、全部見られているのに慣れているように思います。
私は中学校の野球部でしたが、思春期あたりからだったと思いますが、親の前で感情を表すのは極力避けたい性格になっておりました。

ここでの話題はガッツポーズですが、最近思うのは「けっこう派手に泣く選手」が多くなっているように思いますが気のせいでしょうか?

ちょっと前の菊池投手やら松井投手なんて、「ウワ~ン」って感じで泣いてましたでしょ・・・あれだけ周囲の目を考えずに自分に酔って泣けるというのも大物投手の才能かと思います(といって自分はやれませんが)

やはり孤独なマウンドで信じれるのは自分ひとりと思えば
「俺の感情こそ重要!オレを中心に地球は回っている!そのオレが悲しいのだから皆は気を使え!」と思えるくらいの自我が必要といえば必要です。
(そんなのと一緒に仕事したくないけど)

泣いたほうが切り替えは早くなりますから。

涙をこらえている人を見て、人は感動するものですが

本人はカラダを壊しますので健康のためには涙を流したほうが良いそうです。

というわけで①に関しては、子どもの野球と思えばガッツポーズもはいど~ぞってなもんなのでヤメロとも思いませんが、
横綱はそれやらないという世界観はいつ身につくのか・・・
それともそんなの求められていない野球界になってきた・・・という虚無感もあり・・・

さて、②の問題、優勝してマウンドで指1本で天を指すやつ。
あれも一つの流行なのでしょうが、私としては個人的な感情として、あれは確か、とあるメンタルトレーナーの方が仕掛け人だったような記憶がありまして、その人の人となりを知っている身としては「こりゃ~あの人してやったりと思ってんだろ~な~」なんて思ってみております。

私個人としては「この指とまれ~」をやってるみたいで、なんかおもしろいな~と思ってますが可愛いっちゃ可愛いですかね。

③の問題 「あの子」「子どもたち」と云う話ですが、「子どものように思う」ことはありますが、外向きに「あの子」「子どもたち」というのはなんだかな~と思います。

そりゃ子どもですけど、高校生くらいって「大人ぶりたい」というか「大人として扱われたい」という欲求ってありませんかね・・・
名字呼び捨て」が気持ちよくないですかね・・・

でも慣れてますね・・・今の高校生は・・・


これとは別の問題ですが、大阪に来てみて思ったのはこちらの人は普通の会話で
「あの子」とか言いますよね。最初はけっこう違和感がありました。

大学生が同級生に対して「あの子は~」なんていいますね。単なる言葉の使い方ですけど。

ちなみに金魚屋では、「この魚ください」と指をさすと『このコですね~』なんていいます。

最後の④のブラスバンド
これは定番でいいのかな(笑)
ひねりすぎて初めての人が分からないと、盛り上がりませんからね(汗)

長渕剛のニューアルバムコンサートに行きますと、
序盤に新曲が流れるのですがあんまりよく分からず、「なんか失敗したかな」と思ったころに、
「泣いてチンピラ」「ステイドリーム」「とんぼ」がかかってようやく客が(私も)ホッとするというのと同じ理屈です。結局、毎回同じ曲で納得するという。
定番が大切です。



グダグダと書きましたが、高校野球も変わってます。
現実的に高校生も捉えるようになり賢くなったというか寂しくなったというか・・・

この投書のお父さんの気持ち分かりますが、スマホを駆使する時代の高校生たちの野球ですから気楽に眺めていきましょう。
「当事者たちの野球大会」ということで・・・


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さて・・・ふと見るとネットの記事・・・

中日来季はスタッフどうなるやら・・・・

あの人の入閣あるかな?(笑)