kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

いちだんらく

イメージ 1 ひとりハイボールで祝杯しながらこのブログを書く
万人に共感してもらえるような偉業を達成したというわけではないのだが、私にとってはそれなりに意味がある出来事があった。


いぜん少しふれた雑誌が無事に発売された(写真)

私個人でどうにかなるようなものではない、さまざまな要因や職場での人間関係のつながりの結果

「ベースボールクリニック2014年3月号」
に私の名前で掲載されることになった。

この雑誌は野球の熱心な指導者の方はかなり読み込まれている雑誌である。

この雑誌は私の人生に大きな影響を与えている。それは必ずしもよかったのかどうか・・・

これに出会っていなければもうちょい人並みの人生があったのではないか・・・などという気さえする・・・


この雑誌と出会ったのは中学1年のことであった。


日曜日の先輩の試合が行われているグラウンドの片隅で座間市のカリスマ監督である植村先生に素振りを見ていただいた際に「お前はいい振りをしているなポジションはどこだ?」と尋ねられた。

私は張り切って「ピッチャーです」と答えたら「キャッチャーやれ」と言われその後の人生があっさり決まってしまったあくる日の学校でのこと・・・(希望のポジションなんて概念はなかった)

私は植村先生に職員室に呼び出され、細かい説明はまるでなく「これ読んどけ」と渡されたのは「ベースボールクリニック1年分」の束であった。あと「投手の育て方」という本も添えられていた・・・

当時の野球部は総勢70名ほどいて1年が植村先生と会話するなんてのはありえない状況なのであった。

それなだけに、「これはエライことになったぞ・・・」と怖くなった私は自宅に持ち帰り内容をせっせとノートに書き写した。

そして私は親にお願いしてベースボールクリニックを定期購読してもらうことにした。

今にして思えば、これは人生に強烈な影響があった。

これは指導者向けの雑誌である。指導者のネタ本なのである。

現在、日本のトップ校ではどんな指導者がどんな考えで練習をしているのか、トップ選手はどんなことを考えているのか?そんな記事が満載なのである。

また、スポーツ医学の知識なども多く掲載されており、肩肘の障害についての説明も多く掲載されていた。野球肘をやっていた私にとっても助かる情報が載せられていた。(痛みを誤魔化すために前腕を縛り付ける方法なんてのをやっていた中学時代であった)

この雑誌を読み込んでいることで練習の考え方や練習方法を豊富に持っていた私は野球の練習に対して全く飽きることがなかった。

しかし、この雑誌を読んでいたがためにツライ面も結構あった。

当時のチームメイトでこのブログを読んでいる人はいないので書くと、野球の知識レベルにおいてチームメイトと差がついてしまい、野球についての会話を楽しくできないので溝ができてしまった。

また、指導者向けの本を読んでいるということは『指導者の気持ちがわかってしまう』ということである。

これは実は相当にキツイことなのである。

いや、全員がわかっているならハッピーなのである。

「自分だけがわかっている」という状態が悲劇なのである。

全員で分からなければ、チームメイトと監督の悪口でも言ってれば仲間意識は保てるが、自分だけわかっていると「いや監督はこういうことを言いたいのでは」などとなり結果、孤立する。

監督のほうからも「お前はわかる奴だよな」ってなことになり、「誰にもいえない私」という状態になるのである(笑泣)


・・・・まぁ、個人的な小さい話なんですけどね

これはあくまで私個人の価値観なのだが、この雑誌に出るということは一つの・・・エ~トなんて言ったらいいのかな~まぁなんなんである(汗)

いつかこのベースボールクリニックに出れるようになりたいな~

そうしたら植村先生にも認めてもらえるのではなかろうか?

などと思っていた20代の頃を思い出すとハイボールのせいもあって涙がでる(笑)

カッコつけない本音でいえば「どうだこのやろ~すげえだろ~」などと吹いて回りたいところなのだが、聴いてくれる人がいない(笑)

そもそも学生は読んでない。うちの先生方もあんまり知らない(笑)
高校野球部の生徒も当然読んでない(笑)

まぁいいんです。

これは私にとって一つの野球への区切りとなりました。

中学1年で読み始めてから25年の月日を経て自分の名前で掲載されました。
これにより中学時代で止まっていた時計を動かすことができるかもしれません。大げさかもしれませんが私にとってはそういう出来事でした。

そんなことを考えながら感傷に浸っていたら大学の同級生で北海道のプロ野球チームのトレーナーHから電話がきた。

「おう、クリニックに出るとはやるな~」とHなりのお祝い電話であった。
この人はけっこうセコイ上にあんまり会話も面白くないのでもう応援するのやめようと思っていたのだが、電話をくれて嬉しかったので今年も応援することにしよう(笑)