kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

かぎらないっていわれても

割とマジでトレーナーを目指しているという学生と楽しい議論をした。

その学生はストレングスのトレーナーを目指しているという。

「ストレングス」などとちょっと言ってみましたが、
ようするに怪我の対処をするトレーナーに対して、チームが(もしくは選手が)強くなるために主に筋トレなどを指導することをメインとするトレーナーを指す。

そういう意味では私なんかはストレングスの範疇ということになるのかな。

ある面ではスキル(技術)のコーチともいえますが。

その彼がとあるセミナーで
「この筋トレのこの動きはスポーツの技術にないから意味ないのではないか?」

というような話を聞いてきて「なるほど~確かにそうだな~」と感心してきたという話をしてくれた。

競技スポーツ(勝ちたいと思ってやるスポーツ)のトレーニングはどうあるべきか?
というのはま~楽しい議論であるが、いまだに似たような議論しているところをみると答えが出ていないというか、それぞれで同じ話をしているようで違う話をしているからいつまでも答えが出ない。(出さないようにしているのかも 笑)

例えば
「ベンチプレスが上がるようになったからといってバッティングが良くなるとは限らない」

などというパターンの言い回しはホント~によく使われる言い回しである。

野球でいえば「素振りしたからって打てるようになるとは限らない」
なんてのもアルアルの言い回しなんですが、そのほとんどが「自分はやってない」というのもこれまたアルアルなんです(笑)

自主トレで真面目に素振りを繰り返している仲間をみて
あいつだけやってると俺がサボってるのが目立つな」
などという時にこれを言って練習意欲を削ぐという手法があるとかないとか・・・(笑)

こういう連中が増えてくるとチームが悪くなってくることがあるとかないとか・・・(笑)


この「~とは限らない」というのは、
それを信じている人にとっては非常にダメージの残る言い方でもありインパクトのある言い回しである。

「うるせえ!お前のやり方とは違っても俺のやり方はこうなんだ!
と言える選手は見所があります。
(なんて思ってると「素直じゃない奴は伸びない」などと第2の矢が飛んできますが 笑)

トレーナーを純粋に目指している学生ちゃん(かつての私)にとってはとってもカッコイイ言い回しに聞こえるもんでちょっとマイブームになったこともある。

この「限らない」というのは相手にいかにも「やめたほうがいい」というニュアンスを与えておきながらも「うまくいくこともある」という保険も残しているところがイヤラシイ(笑)

そのあと具体的な方法を提示できるのならばいいのだが、人のやる気にこのセリフで水をぶっかけておいて振り逃げするような指導者も多い
というか、指導しているような気持ちになりやすいということをここに付け足しておく。(かつての私)

まぁ、もちろん「~とは限らない」というのは知性の表れであるという言い方もありまして、かつて「バカに見える話しかた」なんてベストセラーがありましたがその中では「決めつけて話すバカ」っていうようなのがあったから賢そうに見えるためには「~とは限らない」とか言ってればかっこはつくんですけどね。

ただ選手にしてみりゃ「~とは限らない」なんて指導者にどうやってついていくの?ってこともありまして、

これまた野球のアルアルですが打席に立つ前に「考えていけよ~!」なんてなこと言われて打席に入った時はどうしていいやらさっぱり分からないもんです。
これで初球に大振りして空振りしたりフライをあげたりした日には「だから考えていけと言ったろ!」などと言われてしまうので取りあえずバントの構えしてみたりします(笑)
だったら「待て」のサイン出してくれよと・・・
それを「俺は振るなとは言ってない、選手の自主性を尊重してます」
みたいなそれはねえだろと・・・(プロでも 笑)
まぁこういう中で育つほうが社会でやっていけますが。

職場なんかでも「組長がそうやって活動しても学生がくるとは限らない」なんてなことを無神経に言う人がいたりしてもやっていけているのはこの野球のおかげだったりします(怒笑)

おっと・・・話がそれました。強引に最初の学生との会話に戻します。

レーニングを考える者として、
「そのスポーツの動作に近付けたトレーニングをすべきなのかどうか?」
というテーマがあります。

というより、
「できるだけそのスポーツの動きに近付けたトレーニングをするのが理想じゃなかったの?」
と思われている方も多いかと思います。
事実、その学生が受けたセミナーではその前提で話をしているわけですから。

その路線で野球を考えてみたところから思いつくのがマスコットバット(重いバット)や重いボール、重たいウェアを着てプレー、タイヤを引いてノックを受ける・・・・というようにプレーに負荷をかけるわけです。

これなら文句ねえだろと・・・

ところが面白いもんで、
「そのスポーツの動きに負荷をかけるのってホントにいいことなのか?」というテーマでこれまたセミナーできるくらい中身があるものなんです。

野球で分かりやすく言えば、「重いバットを振るとバランスが崩れるんじゃね~か?」とか、「悪い癖がつくんじゃないの?」とか、それこそ
「重いバットを振ったからといって打てるようになるとは限らない」みたいな話になっちゃうわけです。

なんて話を先の学生と議論していて「あ~たしかに・・・」なんてなって面白かったです。
かつての私の通った道です。

スポーツの動きに筋トレを近づけようとすると扱える重量はどんどん軽くなってしまいます。

スクワットやベンチプレス、デッドリフトといった定番のメニューのフォームは、最大重量を扱えるために考案されたフォームです。

最大重量という刺激をカラダにかけることによって鍛えられるものが沢山あります。体つきが劇的に変わります。

それをスポーツの動きに近付けて~」などと欲を出すと、危険なカタチになってしまうことをトレーニングの勉強では学びます

ですから、負荷を軽くせざるを得なくなります。

そうなりますと、なんのためにウエイトトレーニングをすることにしたのか分からなくなってしまうという事態も起きます。

ですから「普段の練習ではかけられない重量の刺激をカラダにかける」と目的を定めてこそウエイトトレーニングでスクワットをする意味があるわけです。
「その重量でいいならおんぶして屈伸すりゃいいじゃん」
となったんじゃしょうがないわけです。

ウエイトトレーニングをしたからって打てるようになるとは限らないという言い回しもかなりありますが、これもまた当たり前な話でそりゃバッティング練習をするとか、ちゃんと理論を学ばなかったら打てるわけがありません。
(前作で書きましたがグリップ一つでも理論があるわけですから)


ちょっと熱くなりすぎましたが、強引にまとめると、トレーニングは「これで何を鍛えるのだ?」と目的を明確にしないとダメなんです。

逆に当事者の目的意識がそこにあれば、
まわりからみて「~とは限らない」と茶化されても意味があることと信念をもってやるべきなんですよね。

あっ・・・『信念』って・・・

最後は精神論きてしまった・・・

信念がブレてきた秋であります・・・

まぁ・・・


こんな話聞いたからって勝てるとはかぎらないんですけどね・・・