私は現在野球を中心として様々なレベルの選手を指導する機会があり、
最近では年齢層も幅が出てきて自分で言うのもなんだが、
誰も言ってくれないので言うと、こちらの地元のバァさんたちから大人気の体操の先生にもなっている。
関東と関西のカベというのがあるかと思いきやとりあえずあまり関係なさそうだ(笑)
・・・でこういうのって対象者さんからは「先生の人間性が~」などということになることが多く嬉しい気持ちもするが、もしそれを結論としてしまうと、「アイザワだからできることであって他の人にはできない」ということを示すだけになってしまい学生になんとか伝授したい私としては責任を果たしていないことになる。
果たしてホントに天性のものなのかどうか・・・
もちろん最後はその領域もあるであろうが・・・
講演や運動指導などでバカウケしたりすると
「俺って天才じゃなかろうか?」などと気持ちよくなることはある。しかし、それは同時にその快感を覚えてしまい次回もウケタルゾ~となりかえって苦しみが増すという泥沼の始まりでもある(泣)
最近ではいわゆる組員と呼ばれる私の側近の学生の中にも「私にもその快感を~」というヘンなのが現れてきたので「あの場面はこれを考えてこうした」などと説明する場面がチラホラある。
そうして説明しているうちにいわゆる「こんなこと思いつく俺って天才じゃないか?」などと自画自賛していたが、
「そういやこれって大学の授業や先生から教わったことだったな~」と
ちゃんと技術として教わったものであったことに気づく。
技術とは「伝えられる形になっているもの」である!
技能とは「その技の能力で伝えられないもの!」
なんてなことも教わったな~
よく考えると天性のものというようなものではなくやはり勉強した技術や知識である。
私は一応大学でコーチング学を学んできた人間ということになっている。
(その中でも成績優秀者だったということになっている あえて書く 笑)
コーチング学なんて指揮者と一緒で自分がやるわけでもないし、自分一人で何かを生み出すわけではないので「これは自分では面白いと思っていたがどうやら物質的価値が尊重される現在では意味がないのでは・・」などと思っていたが最近は重要なものであるらしい。どうすれば人はやる気が出るのか。(と、書いている自分が一番やる気がないのだがこうして書いているうちにやる気が出るとか・・」
というワケで、私の近くの人と話をしているうちに、結構よろこばれそうな感触を得たのでチラホラと「コーチング論的」なものを書いてみることにする。
今回は「対象者のレベルによる指導方法の違いについて」
一口にスポーツ指導といって皆さまが思いつくようなシーンはどのようなシーンだろうか?
野球でいえば投げ方のフォームの指導や、野球の試合の中での戦術指導、筋力トレーニングの指導などなど・・・
これを指導行動(指示し導く行動)と呼ぶ。
目的は競技力・パフォーマンスの向上である。
この指導に要求される能力は専門スポーツ種目の知識・経験・スキルであり、一般理論としてトレーニング学の知識・経験・スキルということになる。
じゃあそれだけで良いかというと、机上で勉強しているだけの学生からは想像つかないだろうが、
現場で指導している先生方はよ~く痛感しておられるのが人間力の必要性である。
合目的的(目的にあった)思考や行動ができない選手、正しい哲学や倫理を持たない選手はある時点では競技力は高いものの、長期間にわたって高度に向上させることは不可能である。さらに引退したあとの社会生活もこころもとないものになる。
野球界には耳の痛い話である・・・
ちなみに、競技力の向上と人間力の育成は相補的な関係に無い。
「競技力を追求しとけばいいんだ」ということはない。
だから、多くのバーンアウト(燃え尽き)やバーバリアンアスリート(野蛮選手)を育ててしまっている現実もある。
そしてバーバリアンアスリートがバーバリアンコーチとなり悪循環へ・・・
ということで、人間力の育成を目的とするものを
育成行動(育み育てる行動)とよぶ。
前振りが長くなったが相手のレベル(初心者・中級者・上級者)によってこの二つの割合が変わるというのが今回の話である。(ここまで読んでくれたかしら)
まず初心者指導の場合・・・
モチベーションは高く取り組むべき課題は多いことから様々な変化が容易に起こる。パフォーマンスは劇的に発達する。
つまり初心ですね(まさに初心忘るベカラズ)、当たらなかったバットに当たるようになっただけでも劇的な変化ですもんね!
この時期に必要な指導技術は基本となる技術や戦術、基礎的な動きや体力の指導に主眼を置いた指導型コーチングスタイルとなります。
この時期に「人として~」なんてのはいらないわけです。
問題は次なのです!
初心を超えた第2ステージ・・・つまり中級!
「いや~初心者の時は手取り足とりでメンド臭かったけど、ここからは少しラクができるべ~」などと思ったらオオマチガイ!
このレベルに対する次なる課題は選手にしてみれば一気に高度かつ複雑になります!
これを覚悟してない選手が多く、かつそれを要求していることを気付いていないで指導しているケースが多い!(特に野球の中級高校! 代表例 和歌山S高校 および大阪S山高校 および大阪のぼる先生 笑)
例えば・・・ここにある課題に対して5回に1回できるという選手がいたとする例
初心者ならば、できた時に褒められてた(5回に1回できたらできた時に褒められた)のに、
今度は
できた時はスルーされてできなかった時に注意を受ける段階(5回に4回は注意を受ける)
となります。(そりゃそうだ、5回に4回ミスする選手なんて使えませんもん)
ちなみに、プレーの変化は初心者の頃と比べて小さくなります。目に見えて変わるなんてことはまずありません。
こうなると、「ミスして怒られるわ、やってもやってもプレーは停滞してるわ」で、
モチベーションの急激な低下が見られます!
それまで初心者で素直だった選手が突然、変な態度を取ったりしだしてビックリさせられることも多々ある時期です。
ようは選手もどんな態度取っていいやら分からずパニックになっているんですね。
この中級者段階では育成行動と指導行動の
両方を最大限に高めた指導・育成型のコーチングスタイルが選択されます。
これによってモチベーションの維持・低下防止をはかるとともに
熱心な指導行動を受けることができればパフォーマンスは向上しやがて最大の発達段階を迎えることになります。
何を言いたかったかと言いますと、中級高校野球部(初心者ではないがかといってやる気にみなぎっている一流選手が来ているわけではない野球部)の指導が一番大変だ(やること多いという意味で)ということです。
技術指導やら人間的指導で励ますやら叱るやらして、やること多い割に試合で勝たないから社会的に特にチヤホヤされない悲哀というのも含まれております(笑)
でも、
野球界においてもっとも重要な鍵を握る指導であると伝えたいわけです。
こういうことがちゃんと理論的にありますので、どうか頑張ってくださいということです(笑)
いやもちろん「初心者のほうが大変だ!」とか「トップの苦労を知ってんのかキサマ!」などと言う人もおられましてそれぞれのレベルで大変なのは分かっておりますが、私の付き合いの中で話を聞いてくれる(このブログを読んでいる人で分かっている人)が中級高校の方が多いのでそちらへのエールということで書きました。
ここで停滞するアスリートは自信過剰で感受性も高いことから指導行動を多く取ると関係性が崩れて信頼感を失うケースも多い。そこでは指導行動の量を抑えて育成行動を中心としたスタイルになります。
ここでは育成行動も指導行動も少なくしたパートナーシップ型スタイルとなる。
最後までありがとうございました。
コーチングは相手によってこれだけやり方が変わると分かっただけでも
面白いと思います。
中級高校の監督が指導の勉強と称して名門高校の話を聞いても結局、「でもうちの選手じゃな~」とかえって絶望するという理由もわかっていただけたかと思います。
名門の監督がよくいう「うちは教えませんよ~」などというセリフは、それはそれで真実なのです。
これを読んでくださっている指導者さんの現場はそこしか存在しない現場ですので上も下もありません、上級高校の真似をするなんてツマラナイことはやめて、その場その場でコーチングを楽しんでいただけたらと思います。
O山監督 ターミネーター監督とその子分 のぼる先生の顔を思い浮かべながら書きました(笑) あと私の敵となったDトレーナー(笑)