コンディショナー先生、母校に帰る・・・
さて・・・
けっこう病んでおります。
フェイスブックなんぞをいちおうやっておりますと、
ご丁寧に色々な方が書いたブログなどの記事の紹介が入ってきたりします。
私の交友関係でいきますと、取りあえず野球の方も多いもんで
「○○さんが『いいね』と言っております。」などというタイトル付きで
野球指導者さんの記事が入ってきます。
そんな中で「これはどういうことなんだろうか?」
と普通の人ならばひっかからず「そのとおりだ!」となるような話なのだが
私には非常にひっかかることがあった。
それは「挨拶のできない選手は大成しない!」というタイトルの記事であった。
私なりに要約すると、気持ち良く挨拶できる人は周囲からも支えられ結果的に大成する選手になりやすい
・・・というより、いくら野球の技術的な才能などがあっても挨拶ができなくて人間関係が構築できないような選手は大成しませんぞ・・・
・・・・ということで、私は選手に対して試合の勝ち負けよりも挨拶を基本とした礼儀の指導に重点を置いております。
という主旨の内容であった。
お~確かに大切だ!
それは疑いようがない
・・・というか、野球界においてはこれに疑問を唱えることなどタブーである。
なんなら私もそれをもっと過激に提唱してしまいそうな勢いである。
私の中学時代の監督の教えもそうであり、勝ち負けよりも人間教育!
というモットーの中で、
いかに監督がキレようともグッとこらえて我慢する
・・・という力がついたと言えば聞こえはいいが、
我慢してたのが俺だけじゃねえか?
という中で果たしてこれは我慢する力がついたのか、自己主張する力が無くなってしまったのか判断が分かれるところではある・・・
ただ、今回はそういう問題をどうこう言うとややこしいことになるのでそれは置いておいて
私が引っかかったのはこの文章の中身は全く関係なく
「そもそも大成するってナンダ?」ということである。
皆さま「野球選手として大成した人」ってどういう状態の人のことを指すのでしょうか?
「そういう奴は大成せんぞ!」
などと特に疑わずに発するセリフで、なんなら私も似たようなことを言っていたような気がしますが根本的な問題として
「大成するってナニ?」
・・・ってことをなんにも考えないでおいてここまで来てしまったんじゃないかと今更ながら狼狽してしまったというか、
すげえ恥ずかしいことを告白しておりますが私・・・
まったく考えておりませんでした。
どうも最近行き詰った感があるな~と思っておったのですが、
このそもそも
「大成するとはなんぞや?」を決めないで進んできたから収集つかなくなってきたのではないかと・・・
わたしゃ今までどこに向かってきたのかと・・・
投手のフォームがどうこうとかそれが大成への道かと思っておりましたが・・・そういう問題じゃないなと・・・
イチローとか大成した・・・ってそりゃそうです。
・・・とそこまで極端な例までいかないと大成とは言わないとなったら、野球やってた人の限りなく100%に近い人は大成しておりませんよね・・・
松坂って大成なハズですよね・・・でもなんだか最近の扱いはひどくないですかね。
なんでこんなことになっちゃったんでしょうか?
「いや、野球の試合結果だけの話じゃないんだよ、人生の大成なんだよ組長さんよ」
なんてなこと言われそうですが、それだったら挨拶するのが選手として大成するために大切なこと・・・という主旨とは違うのではないかと・・・
そもそも「お前らそんなんじゃ大成しないぞ!」と言っている本人は自分のことを「大成した」と思っているのでしょうか?
それとも「いや、俺が大成できなかった分、お前に大成してもらいたいんだ」
というようなものなのでしょうか?
それならそれで「なれなかった大成はどの状態?」ということを分かりたいんです。
これイヤミで言っているわけではなく、
私に関して言えば「そもそも、目指す大成した状態」がよくワカッテないから、右往左往しているのではないかと考えてしまいまして・・・
こんな人間が指導していていいのだろうか・・・?
指導って導くことですが、どこに導くわけ?
それも定まってないのにやるわけ?
突然、そんなことを考えてしまいました。
先日、社会人野球のトレーナーをしている卒業生が来てくれて話をしました。
とても立派に頑張っております。
都市対抗に出るくらいのトップチームのトレーナーをしております。
「う~ん、大したもんだな~」
選手の指導も仕事のうちだそうだ・・・
社会人野球の選手ってどこを(なにを)目指してるのかしら?
そこでトレーナーはなにすんの?
特に指導技術の話になることもなく時間を過ごしましたが・・・
そうなると特に話もないつまらない私であります。
星林高校の指導をしてたら、これはどこを目指してやるものなのだろうか?
と禅問答になります。
野球人としての大成ってなんでしょうか?
それとも大成とはなるものではなく目指すもの?というようなものでしょうか?
そもそも私はどんな程度の「大成度合い」(そんな言葉でいいかわからないけど)なんでしょうか?
自分としては、「全然だったなこりゃ」と他の選手に対して妬みと嫉妬で成仏できない幽霊みたいなもんです。
さて・・・
最近、挨拶について思うところ・・・
これって、「下の者が挨拶せんかい!」
という風潮がありますけども
上の者が挨拶を率先するようにするとか、
そもそも
「下の人が挨拶したくなるような雰囲気を作るように努力する」
とかした方がいいんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか?
昔の体育会系じゃあるまいし、挨拶してもウンともスンとも言わない顔してないで
「お~元気~ヤッホ~♪」
なんて
会話も付け足すとか、手を元気に上げてリアクションするとか、面白い顔でもして笑わせるとか、
そうしたら下のほうだって
「あの人に挨拶すると面白い話聞けるぞ!あのオッサンに挨拶した方が楽しいぞ」
って感じにしたら挨拶なんて勝手にするようになるんじゃないのと?
ちなみに私は授業の最初と最後の挨拶は私の方が先に「お願いします」「ありがとうございました」言うようにして学生がそれに併せて挨拶してます。
これは、「挨拶してもらえなかったらどうしよう?」と単に学生の反応にビビっているという事情です(汗)
こうすると、けっこう応えて「ありがとうございました」と言ってくれるもんでして・・・
でもやっぱアレカ・・・
これ読んでターミネーター監督がニコニコして挨拶したらそれはそれで
「ナンダナンダ?アタマでもおかしくなったか?」
と気味悪がられそうだからやっぱり人それぞれのスタンスがいいのかもしれませんね(笑)