(写真は本文と関係ありません 雨がふる日は大変であります)
先日、少年野球を指導している卒業生のM山さんを囲んで学生5、6人で野球談義をしていたときのこと・・・
卒業生のM山さんからこんな話題が
「うちのチームの選手(小学生)は勝ちたい気持ちが無いようなのですがどういうことなんですかね~」
なんて話から盛り上がった。
このブログを読んでくれている方の中には野球指導者の方も多いと思いますが、この感覚については
「そうなんだよ~うちの選手もなんだよ~どうやったらやる気になるかな~」
と悩んでいる方も多いかと思います。
私はM山さんに尋ねた
「そういうアナタは小学生のときに勝ちたい気持ちありました?」と
M山さんは「僕はありましたよ!すげえ勝ちたかったです」とのことだった。
私はちょっと意外であった。「少年野球で勝ちたいと思ってやっていた選手がいたのかと」
・・・といいますのは、私は正直に言いましてそんなに「相手に勝ちたい」と思っていながったものですから(笑)
中学野球部の時には
「いかにトラブルなく過ごすか?・・・つまり監督に怒られることなく今日一日を終えるか?」のほうに神経が行っておりました。
こんなこと書くと、
「おいおい組長さんよ~お前は野球大好きでいまだにピッチャーがどうこう言っているじゃねえか、話が矛盾していないかい?」
と思われる方もいるかもしれません。
私は「打ち方」や「投げ方」といった自分の技術を追求することに対しては興味があったり、いい選手を見るようなのは好きだったのですが、具体的に「○○大会に勝つぞ~!」などという欲はあまり無かったように思います。
どうも、根が勝負に向いていないのかもしれません。
ですから監督から「やる気あんのか~」と言われましても、「私としてはありますのですが・・・」と歯切れが悪いのであります。
もっといえば、チームメイトが興ざめしている状況で監督が我々をなんとかしようとしてくれていることを私だけは感じてしまうだけに尚更ツライわけでありました。
さて、集まった学生に「君は勝ちたいと思ってやっていたか?」と尋ねるとけっこう「僕は勝ちたいと思ってムキになってやってました」という答えであった。
「いや~僕も先生と一緒で監督の目を気にしてました」と言ったのはヒロムちゃんだけであった。
勝負にはむいていないヒロムちゃん
さて・・・こうなると当然湧いてくる疑問が
「なぜ勝ちたいと思うのか?もしくは思わなくなるのか?その分岐点はナンダ?」
となりますよね。
そこで、「なんで勝ちたいと思ってたと思う?」というテーマで話をしていたらある共通点がありました。
TATSUYAくん(ツタヤじゃね~ぞ)が言うには
「同じ学校の友達が敵のチームにいましてそいつにはど~しても負けたくなかったです!だからムキになって練習しました」という。
ナオキくん(晴れ時々イップス)も、「僕も友達が相手チームにいてどうしても負けたくなかったです」という。
最初のM山氏も「僕も絶対に負けたくない友達がいました」という・・・
・・・でヒロムちゃんは「僕はいませんでした」という(笑)
・・・わらっちゃいけないか(笑)
どうやら負けたくない友人の存在というキーワードがあるように思いました。
負けたくない存在があるのか、ないのか?で選手への指導方法は変えていくべきなのかもしれませんね。
コーチングの一番の仕事は
「モチベーション(動機付け)」です。
負けたくない人がいる場合であれば指導は専門的な話をしておけばいいのではないかと思います。現実社会に具体的な目標がありますから取り組みやすいです。
「やる気あんのか~!」なんて説教がそもそもいらないわけです。
ところで、負けたくない友人ってどんな友人なのでしょうか?
仲の良い友人でしょうか、いやいや「ムカつく友人」でしょうか?
一見、負けたくないわけですから「ムカつく友人」という気もしますが、皆さんはいかがでしょうか?
私の仮説ですが「負けたくない」という言葉は表面上の言葉でホンネは
「あいつに離されたくない!」つまり
「あいつとずっと対等に尊重しあえる仲良しでいたい」という気持ちなのではないかな?と思ったのです。
尊敬できるライバルの存在が重要だというのはそういうことなのではないでしょうか。
甲子園なんかの終了後の選抜メンバーでの試合で仲良くなったりした選手はチームに戻ってからも「あいつはやってる」と思ってがんばるのではないでしょうか。
こういう事を考えていてつくづく思うのは学内の球技大会なんかだと随分と盛り上がりますが、あれはいったいなんなんでしょうか?あれ、他校とだったらああならないのではないかと・・・
やっぱりつながりが大事だな~
なんてなことばかりで終了したら
おいおい組長よ~
そういうのがいない場合はどうなのよ~
もう見込みないってことか~?となりますよね。
元気がない覇気がない、監督の目を気にしているということは、
逆にいえば監督の振る舞いひとつで大きく変わるということも意味するのではないでしょうか?
『選手は監督に好かれたいと思っている』ということを理解しておくことではないでしょうか?
逆にライバルがいる選手は「監督なんざ眼中にない」という指導者としては悲しい現実かもしれません(笑)
となれば「選手の勝つ気が見られない」なんてのは指導者としての実力を発揮する絶好のチャンスともいえるかと・・・
(口で言うほど簡単でないのは十分に理解しております 汗)
というわけで、そういう時には、やはり指導者が選手の中に入って
勝負の相手になってやる
ことではないでしょうか?
これはキツイ!選手の空気イスの相手になってやってるオ~ヤマ監督(左)
私が中学生のコーチをしていたときには紅白戦で私が登板すると選手がやたらと盛り上がるものでした。
「そういう気迫でいつもの試合もやらんかい!」と思ったものでした。
私が中学生のときを思い出してもたまに監督が一緒に入ってくれたりするととても嬉しかった思い出があります。
試合でキツイ状況のときに「お前らが悪いんだから俺は知らんぞ」と突き放される扱いを受けますとずいぶんと寂しい思いになります。
ノックなんかでも、エラーをして「なんで捕れないんだバカやろ~」と言わないで、「やったぜ~お前の捕れないのを打ってやったぜ~ガッハッハ~」と
嬉しそうに言ったら案外負けたくない気持ちがでるかもしれません。
まぁ、こういうのは個人のキャラクターにもよりますので一概には言えませんが(笑)
大事なことはいかに「負けたくない設定」を作れるかだと思います。
勝負根性育成ダッシュ!
ナカナカ盛り上がりました。
ホントに悔しいのでしょう。
声を出せなどと言わなくても自然と声が出ました。(ホントの叫び声が・・・ 笑)
ところで、これの何が勝負根性かと・・・
この練習を終えてから選手にも諭しました。
『こういうことをやっていると50本のうちに平気で5連敗や10連敗があるだろう?ギャンブルではな、そんなときでも、我慢して腐らずに変わらずにプレーができるか?それが重要なんだ!」
逆に連勝しても浮かれて賭ける金額を変えたりせずにプレーを続けられるか!それが重要なのだと。
そんな話で締めくくりました。
・・・・・・・・・
こんな話が選手の心にしみるワケがない!
パチンコで連敗しているであろうターミネーター監督の心にはしみるであろうが(笑)。
大きく負けたときの反応
メンタルが弱い人は熱くなり
普通の人はプレーをやめ
強い人は全く変わらずにプレーができる
by木原直哉 プロポーカープレーヤー
これは厳しい~(泣)
私は普通の人になることにしました。
金魚のおかげであります。