kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

トンボ狂想曲

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卒業生のミゾバタさんがマウンド整備をするためのトンボを4本寄贈してくれました

実はミゾバタさんの実家は、地元では有名な材木屋さんだそうで、お父様が作ってくれたそうです。

ありがとうございます。

トンボといいますのは、簡単なつくりに見えますが、いざ自分で作ってみますとナカナカ難しいものであります。

それっぽい形にすることは比較的容易なのでございますが、いざ使ってみて実用性、耐久性、安全性をクリアするのは難しいわけです。
ちゃんとカンナをかけておいてくれないとトゲが刺さったりします。

かつて私の過ごした中学野球部は一年生が、『各自トンボを作ってくるように』という指令をうけ見よう見まねでトンボを作ってくるのですが、結局まともに機能したのは数本でありました。
その数本は工務店の息子ならびに、そこの力を借りた部員のものでありました。やはりプロの技というのがあるように思います。

ちなみに高校時代もそうだったのですが、部員の数に対してトンボの数が足りないということがあります。

そういう場合には当然、壮絶な奪い合いになります
監督の話が終了したのちに、チームによっては最後のグラウンドに礼、もしくは私の高校なんざは校歌まで唄っておりましたからその直後にトンボ置き場までダッシュすることになります。

トンボを獲得するということは現代社会で言えば職を確保するようなもので、サラリーマンがタイムカードを押せばこっちのもんだとかつて植木等は唄っておりましたが、それと近いものがあります。
とりあえずトンボを持っておけばグラウンド整備のあいだはカッコはつくのであります。武士でいえば刀を得たようなものでしょうか。

逆に
トンボを獲得できなかった場合惨めといったら、
落ち武者がさまよっているようなもので、丸腰で石拾いをしたりネットの穴を探して修復作業してみたり、ボール拾いをしてみたりするものの落ち着かず、まるで痩せた野良犬です。

面白いもんで「トンボが無かったんでやることありません」なんてのは言えるわけない雰囲気でして
「これはマズイ!とにかくなにかせねば、居場所をつくらねば、やることを探さねば!やってるフリをせねば」となるわけです。
ここで培った感覚は後の生活に役に立っております。

というわけで、「しょうがない、張り切って石拾いに精を出していくか!」
と前向きに考えてグラウンドを積極的にウロウロしていると

トンボを獲得したエリート
「そこはトンボかけたんだから入るんじゃねえよ、考えろよバ~カ!」
などと同級生なのにも関わらず酷い言われ方をしたりして屈辱にまみれるわけです。

たかがトンボを獲得できたか否かでこれだけの格差が生まれるのであります。

さらに言えば、私の高校はポジションの先輩の分も確保するシキタリになっております。

ですから、各ポジションの1年同士で闘争があるわけです。

戦いに敗れてトンボを獲得できなかった日には
「お前はホントに全力でトンボをとりに行ったのか?最近たるんでるんじゃねえか?」などとそれはそれは野球でエラーするより大変な目にあいます。


トンボの奪い合いといえば、なにも同じチームの選手相手というばかりではありません。非常にやっかいな状況があります。これは高校野球をやっていた方ならかなり同意してもらえると思いますが・・・・

実は練習試合の相手の選手だったりします。

やったことない人は「なんで?」となると思いますが・・・

試合後に、相手チームの監督が「お前らも整備をやってこい!」などと整備を命じることがあるのです。こういうのは本当に困るものです。
選手の気持ちからしたら「余計なことしないでくれ~」ってなもんです。

「お前ら、相手チームに整備させてなに考えてんだバカヤロ~!取り返してこいと怒鳴られます。

だから、「こちらでやりますからトンボ返してください」切実なお願いをしにいくのですが、

これがまた相手が「はいそうですか」と返してくれないのです。


そっちの選手も目で訴えてきます

「すまん、俺だって別にやりたいわけじゃないのだが、こっちも生活がかかってるんだ!監督が睨んでいるんだから・・・」
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久々の登場、ターミネーター監督(左)とその子分
(写真はイメージです 本文とは関係ありません)

試合後に相手にトンボを取られるということはこちらのミーティングが長かったためだったりします。
ということは反省点が多かった・・・
つまり監督は怒っているも上乗せされていることも理解する必要があります。



そんな訳ですから、私はトンボが沢山ある球場を見ますといまだに安らかな気持ちになります(笑)

それからトンボのかけ方といいますのも色々と流派がありまして、
「押すときが大事」と云う人と「引くときが大事」という人がいたりしますが皆さんいかがでしょうか?

それから、チームの流儀というのも色々で、マウンド中心からスタートしてグルグル回っていくスタイル。
これはず~と、グリップをへそ付近で固定して押していくスタイルで身体的負担はかなり楽であります。
見た目には渦ができてきれいに見えます。
ただし、整備の質はどうかというとやや劣るというか地面にできた山は削れますが谷はそのままということになりますので、よく見るとぼこぼこしています。
小石につまずくと内臓にグリップが突き刺さるリスクもあります。

ポジションごとに押しては引いての動作で整備していくパターンもあります。実際の整備の質を考えるとこのやり方がいいかと思いますが、腰は痛くなります。
それから、お互いの国境はどこまでなのかということが論点になることもあります。

キャッチャー・ピッチャーに関していえば「掘れた穴に水をいれる」がありますがこの流儀も色々ありまして掘って水入れて上から砂をかぶせて安静にするという思想と、それをコネテ踏み固めるなど色々なパターンがあります。
その後に投球をするか否か、打撃をするか否かによって作業工程を変えたりすることもあります。
野球のプレーよりも整備の時間にイキイキとしてくる整備奉行のようなのが必ずいるのも特徴です。
この人を無視して水を勝手に入れたりすると怒られます。


う~ん、グラウンド整備一つで色々あります。まだまだ書けそうです。

面白いもんで、野球部というのは受益者負担(使う人が負担を負う)概念がないといいますか
補欠つまりグラウンドを使用していなかった人)が当たり前のようになんの迷いもストレスも無く整備にあたります。
決して
「なんで使ってない俺たち補欠がやるんだ!試合に出てグラウンドを使っていたレギュラーがやるべきだろう!」などと組合運動をするような人間は全くいません

つまり仕事として捉える感覚がすでに身についているのです。

「はたらく(働く)」とは「傍(はた)を楽にする」と言った人がいますが、まさにその感覚で
「さぁどうぞレギュラーさん、気持ちよくプレーして監督を不機嫌にしないようにしてくださいまし。それがあなたたちの仕事ですよ」ってなもんでしょうか?(笑)

ですから、社会にでて強みになります。
逆にレギュラーは整備されてラインが引かれているグラウンドで『プレーしてやってる』なんて感覚で育ってしまった場合には社会に出て随分と感覚が変わると思います。

野球ではなく野球部はいろいろな教育になっております。

野球だけやっていてはダメだけど、野球部をやるのはプレー以外の意味があります。

ちなみに、私はスタッフの学生を組員などと言っておりますが、野球部だと思ってます。「野球部が野球をしていないだけの集団であります」

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急な腰痛のため松葉杖生活となったヒラセ隊員・・・

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(新しく300mmの望遠レンズを購入したのでさっそく試し撮りしてみました)

今日はミゾバタさんくるぞ!といったら「あっ、そうなんですか~」と爽やかな笑顔で帰りました。