強烈なドキュメンタリー番組だった・・・
NHKでやっていたやつであった。
行き場の無くなった非行少年たちの居場所を作ってあげているおバァちゃんのドキュメントであった。
非行少年・少女はみな腹が減っているという・・・
ばっちゃんの励ましを受けながら、懸命に社会復帰しようとしている少年。
手作り料理を食べさせながら、このおばぁちゃんは少年たちに説教をしている。
私はこのシーンで涙が出た。ちょうどこんな感じの中学生を励ましていたことが多かったからだ。
私の場合は家に連れて帰って手料理を・・・というわけにもいかないので、
牛丼チェーン店で大盛りを食べさせながら話を聞いた・・・
そんなときには、カレー店でもなく、パスタ店でもなく、ラーメン屋でもなく牛丼屋がちょうどいい・・・
牛丼食べてるときの嬉しそうな顔はいまだに鮮明に覚えている。
数年後に「あの時の牛丼が思い出です」なんて言われて
「おいおい、オレの野球指導の内容は覚えてないんかい!」
などと笑ったが・・・
結局、居場所がないのですよね・・・
色川武大さんの「うらおもて人生録」の中で、
「若者に自信をつけさせるにはちょっとでもいいから話を聴いてあげることである。『ちょっとゆっくりしていけよ・・・』そんなことから自信がつく」という内容があったがまさにその通りだと思う。
「なんの用だ?」なんて言葉は一番キツイという状況がある。
なぜこんな大変なことを続けるのですか?という問いに対して
「ようわからん」とぼやかしているばっちゃんであったが・・・
番組の最後に・・
「面と向かって『助けてください』と言われたことのない人にはわからないんじゃないですか」
というのが、結論の答えであった。
これは、僭越ながら私がふだん思っていることであった。
相談はこれが来る人と来ない人に思いっきり分かれる。
来ない人には来る人の気持ちは分からない。
へたすりゃ、「アイツは人気があっていいな」などと思われているフシまである。
あのな~
などと思わなくもないがこれはどうやら仕方のないことなようでワカラン人には解説してもワカラナイ。
ちなみに私は、私自身が中学生の頃から相談がよく来た・・・
なんなら野球部の親から呼び出されて相談をうけていた。
今でも大学の相談員という名目もいただいているが、そういう事はあまり知らないで相談に来る学生も多い。
ちなみに私の大学院の恩師の松永尚久教授も、相談に訪れる人が多かった教授であった。同室に居候させてもらっていた私は、その様子を横目で見ていることが多かった。
悩みや不満を抱えて入ってきた相手に対して、松永先生は「まぁ座ってコーヒーでも」といってじっくり時間を使って相手と対応していた様子は今の私のやり方のモデルである。
松永先生に相談にくるのは学生だけではなく教員もであった。
真剣にやっているが上手くいかないという相談に対しては特に優しかった。
さて・・・「相談」というものに関して私の思うところ
よく「人は相談にくるときにはすでに答えを持っている」といわれることがある。
これは、「選択肢のある相談の場合」と思う。
例えば、「どの資格を取ったらいいのであろうか?」とか「アメリカに行ったほうがいいか?」「どの学校に行ったらいいか」とか・・・・
こういうのは確かに本人のなかに希望がある場合が多いので
「君の思う道に行きなさい!」と安い占い師のようなことを言っておけば大体はトラブルがない。
「来るもの拒まず、去るもの追わず」というのも似たようなもんだけど、相談された方が「こっちがトラブルに巻き込まれたくない」という心理からくる受け答えのように思えてならない。
こういうのを「相談」というのかもしれないけれど、
「相談の形にもなっていない相談」というのもあると思う。じゃあ相談といわないのかもしれないが・・・
「どうしていいか分からん、助けてくれ、相手してくれ」という状況があって、それは決してセリフにはなっているとは限らない状況がある。
「何が困っているんだ言いたいことがあるなら言え」と言って
「ハイそうですか」
とペラペラと自分の困っている状況を、
相手に伝わるように説明できるのならば、
もはやその人は悩んでいない。
悩みが解説できるということは、もはや相談が必要ない状況である。
私の場合は相手が中学生であったが、このくらいの年齢のときに曲がってしまう行動の生徒は言葉にうまくできないから行動であらわしてしまう。
なんなら、うまく喋れるヤツのほうがよっぽどタチが悪い。
「どうしていいか分からん」という状況でたちすくしているタイプの相談(とはいわないかな)を引き受けた場合・・・
というより引き受けざるを得ない状況がほとんどだが・・・
どういうことになるか?
普通のいわゆる相談と違うのは・・・
「ずっと付き合うハメになる」ということである(汗)
「最後の砦になってしまった以上、裏切れない、タライ回しの最後にあたってしまったらもうタライ回せない・・・」
「何していいか分からん」という状況に対して、
「よし、じゃあこれやってみろ!」などと何かを勧めた場合にはそれを応援し続けなければならない。
例えば野球なら私がずっと付き合うだろうし、じゃあボクシングやれ、とか他の力を借りた場合にはただの丸投げでは相手に失礼になるから、
「いつもお世話になってます~」とコマめに行かねばならないなどの手間が増える・・・
そういう人の親切にワルノリして、
「アイツは好きでやってるからな~」などと揶揄した上に、
利用しようとする人もいることはいるので嫌になることもしょっちゅあるのだが、
声には出さないが私を頼りにしている存在を知っているだけに辞めることができない。
今回は番組に触発されて、感情的な文章を書いてしまったが、これは教え子に
「こういうのやれ!」と
勧めているわけではないことは記しておきたい。
むしろ「やめとけよ」と(汗)
よく、トレーナー希望の学生が「あなただから話せる」みたいに信頼されるトレーナーになりたい。というが・・・
そんな学生に私はいう・・・
「目標としてそうなれる力をつけようと頑張るのはステキだがホントに信頼されたら大変だから」・・・と
だって、「あなただから話せる」なんて告白された相談ごとってこっちが墓場まで持っていかなきゃイカンのですよ(汗)
まぁ、スポーツトレーナーということで「スポーツ選手」に絞っておけば問題ないけども。
学生さんへアドバイス
「それでもなにか喜びとかヤリガイがあってやってるんでしょ?」
なんて、実際にやっている人に聞かないほうがいいぞ。
それから、やっていない人の推測の答えを真に受けるのも勘弁してほしい・・・
自分の価値観で分かる答えが欲しくてつい聴きたい気持ちは分かるけど・・・
そういうのって、一緒に行動していてなんとなく感じるものだと思いますから。
正月から感情的ですいません。