(関連のある写真がなく、ふと思ったことを書くとき用の写真でございます 笑)
私ごときが語るのもどうかと思うがサッカーの話から展開
とあるサッカー界の有名人が「オフサイドはいらね~んじゃね~か?」というルール改革案を提示して世間から大バッシングを受けているというニュースをみた。
こういうネットのニュースを観て、さらに皆さんのコメントを見るのが楽しいものでございますが、やはり皆さんボロカスでございました。
「そんなのもはやサッカーじゃねえ」
「アホか!」
「論外だ!」
などなど・・・
もちろん私はサッカーの専門ではないのでどっちでもよいというか、どこにポイントを置いてムキになれば分からないのであるが・・・
「そんなんじゃロングパスの応酬になるだけだ」などのご意見が多いようで・・・
なんにせよ、それはそれで対策立てるものなんじゃないの?とは思ったりしますが、そもそもオフサイドが出来た経緯もあるのでしょうからやっぱり必要なのかとは思いますが・・・
あの敵役のやりかたのシーンのおかげで「オフサイド」はちょっと賢いほうが、おっちょこちょいを引っかけるネガティブなものであるというイメージを持ったのは私だけでしょうか?
実際のプロの試合でも、「お~決まった!ヤッター!」と思ったらオフサイドでした
という時のあの落胆と助かったほうの勝ち誇った感じがなんともイヤなものであります。
ここからは私の極めて私的なオフサイドへの怨み節を書かせていただきます。
合理的なサッカーへの理論は全くありません。
私はオフサイドが大嫌いです!
こんなこと書くと、
『オフサイドが好きとか嫌いとかあんのか?』
と思われるでしょうからもうちょっと書きますと
「オフサイドを主張する時の人の顔がキライなんです!」
なんであんなに「おい!今のオフサイドだぞ!」と言うときの人の顔ってあんなに憎たらしいのでございましょうか!
なんなら「ハンド!」を主張するときよりヒステリックでございます。
まぁ、これはおそらく内心「これが通ってしまうと失点だ!」となるから必死なのでしょうが。
私の実体験でいきますと・・・
まず小学生の時でございました。私はサッカーをやるのは好きでありました。
相手のスペースを見つけて走り込みパスをもらった瞬間に、
サッカーをチームでやっているやつから「オフサイッ!!」
とデカイ声で叫ばれたものでした。
また、その言うヤツが必ず腹立つやつなんですわ。
そのたびに
『うるせえ何がオフサイ!だバカヤロー「ド」ぐらい言えや。お前が走って戻ってくればいいだろうが、手抜きしといて勝ち誇ってんじゃね~ぞ!ばかやろ~こっちは野球しかしてないんだから分かるわけね~だろ』
などとふて腐れておりました。
当時は先にあげた漫画の影響ありまくりでございました。
かくして私は「よく分からんがオフサイドとすぐに言われるからあんまり攻めるのやめよう」となったのでありました。
まぁ、それぐらいなら少年時代の経験値ということでヨシとして・・・
私がオフサイドに腹が立つのは大学の体育の教員として授業を持つようになってからであります。
大学で体育の授業を受け持つというのは、何も野球やらソフトボールをやればいいのではなくサッカーをやることもあるわけであります。
担当教員は私一人であります。
じゃあ私が審判やるか~となるのは自然の流れであります。
サッカーの審判をやりますと、「なんて野球の審判はやりやすいのだろう」ということが再確認できます(笑)
野球のプレーというのは審判によく見えるようにするのが技術となります。
「どうでしょうか審判さん。よく見えますか、アウトですよね、ストライクですよね?」というプレーになります。
私はキャッチャーでしたから、
『ストライクを取ってもらいたければ審判によく見えるようにキャッチする。』というのは一つの技術でして構えからウンチクがあるわけです。
一方でサッカーはどうでしょう?
選手は審判から隠れてやるのが技術だったり反則でないように見せるわけです。
審判はこっちがのぞきにワザワザ走っていかねばなりません。
しかも相手は大学生の一般生徒・・・
こう聞くとレベルが低いように思われるでありましょうが、
サッカー部ではないが中学・高校あたりはちょいと経験していてサッカー好きでサッカーの授業を履修してくる大学生はTVやらサッカーの代表の応援やらにはよく行っておるだけにま~屁理屈が多い!
体育の授業で素人も混じってやってるサッカーなのにすぐに
「オフサイ!」などと叫ぶ。
もちろん、主審である私に向かって叫ぶのである。
そしてもう一方のチームからは「ないない」などと叫ばれる。
私としてみりゃ
「俺が一人で審判していて、うしろからボールを追いかけて観ていてオフサイドなんて取れるわけね~だろが、くだらねえこと言ってね~でさっさとボールを追いかけろ」と内心思いながら、オフサイドを取らないでいると中には本格的にふて腐れるのもいたりする。
「これがオフサイドなのもわかんね~のかよ!」
「もうこんなのサッカーじゃね~よ」
などと教員である私が罵られた経験もある。
これで私がサッカーに詳しければ
「バカモン、分かってないのはキサマのほうだ」などとも言い返せるのかもしれないが内心は弱気な面もあり、
「う~ん、確かに実際に俺もよくサッカーを分かってね~しな、あ~サッカーの授業やりたくね~」
・・・と思いながらも職場放棄するわけにもいかず困り果てて、
サッカーの専門の先生に相談したところ答えはアッサリしたもんで(この先生はJにも通じているお方)
「そんなの放っておけばいいんですよ、両方に同じ基準で審判をしてるんだから公平だよ」
う~ん、なんて簡潔明瞭なお答え・・・
以来私は授業の前に「俺はオフサイドは取らない!というより取れないから、そのつもりでやるようにというようになった。」
私の偏見に満ちた見解
『オフサイドを声高に叫ぶやつに人望のあるやつはいない』
あっ・・・これは体育の授業レベルのサッカーでの話ですよ。専門家同士の試合は別ですよ。
たまに、
とわざと聞こえるようなことを言ってみる輩もいるが、これをホントにやったらそいつはクズである。(大抵やりませんけど)
体育の授業においてオフサイドをしてしまうのは、素人の学生である。
(だから悪気はないのである)
私は素人の学生がなんとかスペースを探して点を取ろうとしたモチベーションは大事にしたいと思っている。(大学生にもなって好きでもない学生に運動させるのって大変なのです)
かつての私のように「またオフサイドとかワケわからんこと言われたらいやだから攻めるの止めよう」と素人学生のほうが腰が引けてしまった体育のサッカーなんて盛り上がらない。
メンバーや状況によって臨機応変にルールの適応を変えていくことが
スポーツの教養だと思う。
かつて、それでも不満タラタラの学生がいて、素人学生がシュートを決めた時にえらい剣幕で怒ったのがいたものだからそいつを諭そうとした。
「まぁオフサイドかもしれないけど、いつもは引っ込み思案のクラスメートのアイツが懸命に走って決めたんだぞ。それぐらい気持ちよく祝えないのかよ」と・・・
それでも
「そんなのルールじゃねえかよ、先生はルールを破れってのかよ」とあんまりしつこいので・・
「ほ~、そこまでルール厳守っていうのねアナタ・・・
ほんじゃ聞くけどお前はタバコを吸ってるよな?ちゃんと20歳になってから始めたんだろうな~?どうなんだおい?」
と言ったらその学生・・
「そっ・・・それは・・・20歳前です」
「お前な~法律を守ってないやつが、授業のオフサイドでそこまで言うかね?」
「・・・・」
ホントはこんな追い込み方はしてはいけないのですけどね。
この理屈は実はダメなんですけどね。
もちろんこの学生も熱心だからこその不満なのでこっちの火も消さないようにしないとと・・・
私が言いたいのは、そりゃ理解もできてカラダも動く状態の専門家同士の時と、素人も混ざっていてこれからサッカーが好きになるかどうか?
皆で楽しめるかどうかの分かれ目の時には寛容度を変えていくことが大事だと思うのです。
ルールを厳格にやろうとしたことで皆が萎縮してしまい、
その結果「サッカーは皆が嫌がるから止めよう」とサッカー自体をやらなくなったら、
そうなってまでも守らなければならなかったルールだったのであろうか?
となりません?
そこまでの先読みはあったのであろうか?
こういうのに似た事例って世の中でよくあると思います。
一部のクレームや正論によって中止されたり、実行されなかった良案って沢山あったと思うのです。
・・・で、その正論を言った人はあんまり責任感じてないのですよね・・・
ルールを守るのはもちろん大切ですけど、そのルールでかえってこっちが苦しくなるなら応用利かせるのが智慧ってもんじゃないのと・・・
このセンスって実は仕事の時にもとても大切だと私は思っています。
正しいことだけ言う人って結果の責任とらね~からな~
オフサイド一つで思い出が沢山ある私なのでありました。
あっ、ホンモノのサッカーのほうでオフサイドがいるかどうかは専門家にお任せです。
今回の「そんなのサッカーじゃねえ」というような
「そんなの〇〇じゃねえ」というのって、もうちょっと掘り下げて考えると面白いテーマなんですけどね。
そもそも〇〇ってなんなのか?を考えるチャンスなので・・・
それについてはまたどこかで・・・