フェイスブックの中で、元組員のタケダさんの投稿にコメントしたら返信で
「アイザワさん」というよびかけで返ってきた・・・
もちろん、返信の中身は失礼なものでもない・・・
しかし私は瞬間的には「カチン!」ときた。
私を「アイザワさん」と呼ぶようになった竹田さん。
なんでキサマがオレを「さんづけ」なんじゃい!
・・・という感情が湧いた。
瞬間的に、「このやろ~、どういうことだ?キサマ!」などと応戦しようと返信の文章を打ち込みあとはエンターをおせば送信完了、全世界に配信・・・となる一手前でふと考えた・・・
「こんな文章を送ってこのあとどうなる? 今日一日気になって仕事が手につかんぞ」と思い、文章を削除し事なきを得た。
そして、考えた・・・「この俺の感情はなんだ?」
普通の皆さんは
「いやいや、さんづけって礼儀正しいじゃないのよ
ナンデいけないの?」と思われるでありましょう。
「確かにそうだな~」なんて思ってみるがう~ん、これは・・・
ちなみに、普段は(というかこれまで)の竹田さんは私のことを「師匠!」とか「先生」と呼んでいたのでありそれが自然であった。
私のほうは「弟子」と思っているわけでありました・・・
もちろん、私はここ(ブログ)では「さんづけ」であるが直に合えば呼び捨てである。「クン」をつけるときはイヤミのときである(笑)
もちろん、周囲の人がいるときなどは、その関係性などを考慮して「さん」だの「クン」をつけることもあるであろう。
さて皆さん・・・弟子と思っている人から突然「さん」と呼ばれたときのモヤモヤ感って想像つきます?
つまり、私は竹田さんが、
「いや、もうこっちはアンタの弟子でもなくて対等な立場なんですからさんでいきますよ」
・・・と思ってやがるなこのやろ~ と想像してイラッっときたのである。
もちろんこれは妄想のハズであって竹田さんがそんなつもりでなく返信していることは文章から伝わっている(ハズだが違うかな? 汗)
一応、竹田さんをフォローしておくと、フェイスブックなどでは誰であろうと「さんづけ」をするという人はいてそれが無難な礼儀だと思っている人もいる。
ちなみに、私の母校の野球部の先輩なんて奴隷みたいに思っていた下級生に対して気持ち悪い「さんづけ」連発の投稿なんかがありそれをみると逆に怖くなる。
仕事になったとたんにそうやって豹変するのって違和感丸出しである。
私が竹田さんに感じたのはそういう通り一編の手法を私に適用してきたという寂しさなのであった。
「オレにそれつかうかよ・・・トホホ」というやつである。
まぁ、大人になりかけのときのアンバランスなのであろうが、ここでそういう言葉遣いになるならば、私は今までなんだったのか?
礼儀正しさってそういうことじゃね~と思うがいかがだろうか?
「おやっさん!」とか言われたほうがまだ面白い。
かつて竹田さんの同級生でフジタという男がいてこれがまた弟子のように可愛がっていたのに
「今後ともご指導ご鞭撻のほどをお願いします」などと書いてきたからアタマにきて
お前、そういうこと言うならホントに鞭で叩くぞこのヤローと説教したことがあります。(鞭撻って鞭(ムチ)打って強く励ますですから)
「これ言っておけばいい」と気持ちの入っていないセリフを言うのは
仕事のときならいざ知らず、
ホントに自分に対してなんとかしたいと思っている人に使うなと!
面白いもので「さんづけ」で普通の人だって沢山いる。それが普通である。
野球部の後輩やら学外コーチとして接しているチームの選手などはもちろん「さん」でよばれて自然であるし、「お~敬意を示してもらっている」と思う。
なんか人の感情って面白いな~と思う。
これはセンスがいるなとも思う。
礼儀をマニュアルと思っている人には分からないかもしれない。
さて・・・
ふと・・・自分で想像してみる。
中学時代の監督を本人を前にして○○先生と呼んでいたのに○○さんと呼べるであろうかと・・・・
ちょっとやってみたが、とても本番はありえない(笑)
例え、そっち(つまり先生のほうから)「もういいよ先生じゃなくてさんで」と言われようともできない。
いや、もし「さん」と呼ぶようになったならば失礼とかどうとかではなく、私のこれまでのアイデンティティが崩壊することを意味するような気がする。
同等というか、他の人と一緒じゃもう困るのである。
いまさら「オレも普通の人間だからさんづけにしろ」と言われても、
『それじゃ、オレの人生を返せ!』と発狂してしまいそうだ・・・
ということで、私が人並みの人生を送れなくなってしまった責任を感じ続けてもらうためにも「先生」と呼ばせてもらうことにする(笑)。
・・・・ということを考えてみると竹田さんから「さんづけ」で呼ばれるくらいがちょうどいいのかな?とも思えてきた。
さんづけでの方が気楽ではないか?と、私の先生のように恨まれる師匠にならなくて済む。
これなら大人同士のお付き合いをすればいいわけで、
師匠だ弟子だいうから「あいつは大丈夫であろうか?」などと心配して、いわゆる普通の損得勘定とは別次元の感覚で付き合っていたがそれはやらなくて済む。
ちなみに私の上司の50嵐先生は、見事に「先生と呼ばれたくない」という人でありまして、そらも~人間関係は淡白でございますが経済的ではありそうです。
ちなみにアメリカ的な人もあまりこだわりませんね。
師匠、弟子なんてのはもう古いですから、今後はさんづけでいきましょう。
色々な考え方があります。
要は、相手との関係性をどう自覚しているかであり、そこにズレがあると違和感があるということなのでしょうね。
・・・ということで、卒業生のみなさん。
私はさんづけでけっこうでございます(笑)
竹田さん、ステキな気づきをありがとうございました。
いいネタになりました。
今後ともご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いします(笑)
遠くを見つめて・・・・