ここんとこ、呼んでもないのに立て続けに社会人野球のトレーナーを務めるFとTがやってきて、「都市対抗が終わったので挨拶に・・・」ということらしいのだが・・・
どちらも人相が悪い(笑)
自分のことしか考えていない顔してやがる
今回、撮影した写真のデータを忘れてきたので
昨年に来た時のやつだけど相変わらずの人相だったのでまぁいいや。
日立でトレーナーをやっているタケダ氏でございます。
Fにしてもこのタケダ氏にしても共に自分のチームが社会人野球の最高峰の都市対抗に出つつ、両方とも初戦で敗れるという・・・
関西医療大学のような平和を愛する学生たちと日々過ごしている場所に、
突然に野球界のど真ん中で生き抜いている輩が現れると非常に異質な空気感になる。
「あのね~ワタシはもうカタギの世界の人間になっているんだから、アナタのような人と話はありません」
・・・と言っているのだが、
「いやいや何かネタがないかと思いましてエヘヘ・・・あと最近、競輪のほうはどうですか?笑」
と意に介さない。
何やら、だんだんと野球の現場で講習会やらなにやらをするような場面が多いらしく、なにかネタが欲しくなったということだがホントに心から聞いてんのかな。
この自分が困ると来るというのもホントに野球人だな。
「やっぱり指導者が勉強することが大事ですよね?僕は指導者向けに勉強してもらえるようなセミナーをしたいと思ってるんですよ、まず指導者から勉強ですよね」
・・・などとそれっぽいことを言うから
「あのな、野球の指導者をやっている人は勉強という言葉がキライなんだよ。しかも、アナタみたいな若造がもっともらしく言えば言うほど来ないぞ」
「じゃあどうすりゃいいんですか」
とか言うから、「まぁ、『タケダ氏に会えた』ってステータスにでもなるくらいになるか、なにか指導者の人が楽しくなるような場を作れたらいいんじゃないか?」なんて無理難題をふっかけていた。
まぁ、彼も30歳ということでそろそろ人を集める凄みみたいなものも切実に感じるころではあります。
仕事と直結しますもんね。
てなことを言いながら、野球の練習についての話をした。
ちょっと前に高校生に講演をした中で、ブロック練習とランダム練習の違いを話をした。
ブロック練習とは野球で例えると、バッティングでマシンを打つ練習をするとして、その時にマシンを「ストレート」に設定して行う時に打者も「ストレートがくる」と分かっていてそれを連続で打つ・・・
そして「ストレートの打ち方ヨシ!」となったら今度は「カーブ」に設定し「カーブが来るものだという前提でカーブを連続で打つ」わけでカーブの打ち方を習得していく。
こんな風に一つの課題に対して繰り返しながら技術練習をしていくタイプをブロック練習という。
一方、ランダム練習とは、マシンでは難しいのだが(高性能なやつは実現しているらしいが)、打者には何が来るかワカラナイ状態で打撃をする。
この場合には人が投げて、変化球も混ぜてバッティングをするいわゆる『ミックス』というやつだがこれは当たり前だが実戦と同じである。
何がくるか分かり切っているマシン打撃よりも打ち損じは多くなるが、
打撃で最も大切な「対応力」が身に付く。
さて、こうして書くと
「そんなもん当たり前だろ、ランダム練習のほうが大事なんだ」
と言うは易く行うは難しなのである。
落ち着いて聞くとバカバカしいと笑う人もいるだろうが、
「その練習の見栄え」という問題があるのだ。
「はぁ?練習の見栄え?バカじゃないの?」と思えてジッコウに移せる人は、
本人に野球のセンスがあれば大物選手になれるのだが、
もし並、もしくはそれ以下だった場合にはその発想の人は
野球の現場では間違いなく浮く・・・メンドクサイもん(笑)
伝統的野球部になればなるほど「練習の見栄え」を気にする。
典型的なのは試合前のシートノックである。
野球界の基本的観念として、
「シートノックを見れば相手の実力が分かる」
というのがある。
だからしっかりとしたシートノックをすべし。
という指導のもとで、まるでどっかの体育大学がやるような
カッコいい集団行動のごとき整然としたノックに仕上げることを目的とする野球をすることが多い。
なんなら『シートノックという一つの作品』があるのである。
ワタシ自身もそこに美学すら感じていた。
キビキビと動き、パカパカと連続して打たれるノックなのにも関わらず、
どこにもボールが滞ることなく流れるその時間はもはや芸術である。
それは予定されている通りだからできるのである。
「どこに打つかワカラナイよ」なんてノックだったらあの球数はこなせない。
さて、コダワリの形式美を持ったシートノックをしているチームが勝つ確率・・・
もちろん、野球はサッカーなどと比べればセットプレーの連続なのでキレイにシートノックをするチームが勝つ確率は高いのだが・・・
ある程度のレベルになってくると、一見モタモタしているノックのチームにキビキビしたチームが負けることは珍しいことではない。
しかも、モタモタしているようなチームに負けるというのは大きな屈辱でもある。
ちなみにワタシは中学の最後の大会はダラダラしているチームに負けた・・・
「あんなチームに勝たせてはイカン」と監督は吠えたが負けた・・・
オマケにこっちは全員5厘刈りの青坊主なのに対してあっちは髪の毛は伸びていて茶髪までいやがった・・・・
ワタシは思った、「アタマ関係ないじゃん」(泣)
・・・ちょっと違う話になりそうだから戻すが
見栄えのするシートノックを極める・・・それは
再現性を高めることであるが、それは実現するほど「実戦対応力」は下がってくる。
ちょっと論点がずれてるように見えちゃったかな
(ワタシの中ではつながってますが)
マシンの話に戻すと、「カーブ」と分かってマシンを打ってるほうが見栄えはするのである。
そしてここが一番の問題
その「練習の見栄え」とは選手は誰に見せているかというと客ではないのである。
魅せたい相手は「指導者」なのである。
よく「実戦のためになる練習をせよ!練習のための練習はするな!」
と指導者は言うが、これはとても難しいことなのである。
選手の問題ではないのだ!
指導者がそれを理解しているかが問題なのだ!
例えば選手が実戦を想定してたとえ「カーブ」にマシンが設定されていると分かっていても「ミックス」を想定して打撃をした場合には当然のことながら
「決めつけて」打っているよりもミスが増える。つまり「見栄えが悪くなる」のである。
その時に指導者が「お~こいつは実戦を想定しているな~」と感心してくれりゃありがたいが、
「なんだコイツは下手くそか?」
と思われて2軍オチしたらどうしようというプレッシャーが選手にはかかっているのである。
そこでは指導者がそうした理論を踏まえた上で、
「これは実戦向き練習なのか?下手くそなのか?」を見極める眼力が必要である。
これは練習方法ウンヌンよりもその前の考え方の問題であるが、
そのあたりを整理するだけでも、選手も監督もお互いに楽しくなるハズではなかろうか?
ちなみにボクシングの輪島功一さんはサンドバックを打つ練習で空振りも入れていたという。
「なんで空振りしてんだ?」という問いに
「実戦では空振りもするんだから入れるに決まってんだろう」という理屈で、
それを見ていたトレーナーはサンドバックが相手に見えてくるようであったという。
つまり、考えている選手の練習は時にモタモタして見えるのである。
そうか~じゃあ実戦を想定して・・・
・・・ってみんなでやるとこれがまた見事にダラダラした練習に見えてくるのである。
そうすっと、近所から「あそこはダラダラやってる」なんて言われちゃったりするとこれまたスカウトなどに影響するわけであります。
やはり、見せる練習の必要性もあるわけであります。
ちなみに、ワタシはようやく抜けてきたが
サッカーの練習を観ていてダラダラしてるな~とイライラする人は要注意である(笑)
サッカーは対応力の割合が高い種目であるだけにランダム練習ばかりである。
さらにいえば、
対応力において重要なのは「リラックス」である。
これを知らないとダラダラしていると腹を立ててしまう(笑)
・・・・と、ようやくサッカー選手を腹立てずに見てられるようになったワタシなのであります(笑)
といって、性に合うかといったら集団美の中で育った野球人のワタシには・・・
ではありますが腹立てることがなくったという・・・
いや~勉強って大事ですな~(笑)
・・・って、こんなの面白いのかしら(汗)
まだあるけど
まぁ書いてて楽しいからまた書きますね。