トレーニングをしている最中にカメラ目線を送ってくるこの選手・・・
(ちなみにカメラマンはワタシであります)
指導している身としては・・・
ナメテンのかキサマ!
・・・・という気持ちになるメンタルの時もあります。
しかし、
不思議と今年の星林高校野球部は指導していて、そういう気持ちになりません。
股関節のエクササイズで監督からしごかれておりますが・・・
とても楽しそうです。
後ろの選手もよい笑顔(どこいじっとんじゃ)
ナカナカよい雰囲気というか、
ワタシはこれまでこういう雰囲気を否定しておりました。
これじゃあ勝てないと・・・・
笑顔=ダラダラ→勝てないハズ
楽しく野球やりたいヤツは帰れ!
といわれて「そういうもんだ」と思ってというか思うようにしてやっておりました。
「闘志なき者は去れ!」
これは常套句でありました。
・・・といって
ピリピリして勝っていたかといえば負けてばかりの野球人生であります。
要するに性悪説
(人は取り締まらなければどんどん悪くなる。ラクな方へ流れる)
という理念でございましょうか・・・
さて星林高校野球部・・・・
これが全体図でございます。
みんな笑顔だから手を抜いているかといえばそんなことはなく・・・
むしろ、ドリルの意味を理解して丁寧にやっております。
ちなみにこのメニューは、股関節の開き具合を改善するために、
膝の内側に肘を当てて、腕の伸ばしよりも股関節のスライドで捕球しようというもので、ヨガのエクササイズをヒントに応用させております。
こういう雰囲気になるのは結構難しいものです。
なぜこうなるかというワタシなりの分析ですが、
「今年の学年の生徒たちがイイ子だからだ・・・」というのもあるかもしれませんが、ワタシは人数にあると思います。
実は二つ上の写真に写っているのが全員なのです。
17人見つけられましたか?(笑)この中に指導者は3人です。
この写真の状況は、手前の股関節エクササイズをしているグループと奥で、前後のボールキャッチをしているグループとで別メニューを時間で交代制で行いました。
一人は怪我人で練習補助だったために、一つのグループが8人です。
8人に二人のコーチが付きました。
こういう状況だとどういうことが起きるでしょうか?
例えば、1枚目のカメラ目線の写真の状況ですが、ワタシは指導しています。
メニューが軌道に乗ったところで写真を撮ってます。
そんな中でカメラ目線を送られたら普通の状況ならば、
真剣にやっていないのではないかとハラが立つと思いますが、
あまりイライラしないのです。
それどころか「おいこのやろ~ 笑」などといってむしろ
コミュニケーションを取ってくれて嬉しい気持ちすら湧きます。
ふとそれに気が付いて、
「なんだこれ?」と自分で自分の感情が可笑しくなったのです。
大きな要因は『人数』なのではないかと思ったのでした。
ワタシは、今回のチームのように少ない人数を指導したのは初めてです。
最初は絶望しておりました。
しかし、指導してみるとイライラしません。
では、何にイライラしていたのでしょうか?
・・・と考えると、要するに
「伝わってない時」
にイライラするわけであります。
人数が少ないということは
「代わりがいない(ケガしたらアウト)」というデメリットは確かにあるのですが、
「よく伝わる、細かいニュアンスも伝えやすい」
という、それはそれは大きなメリットがあります。
何より「俺が欠けたらマズイ」という責任感も生まれる気がします。
これは接骨院などの職場でもいえるかもしれませんね。
ちょっと話の目先を変えて、
会議などで
参加者が自分ごととして会議に参加している意識になれる人数ってどれくらいだと思いますか?
とあるビジネス本では
「司会も含めて8人が限度!
それ以上になると傍観者が増える、声のデカイ人だけの意見が通る会議になってしまう」
というのがありました。
ホントに何かのアイディアを出そうと思ったらいいとこ6人でしょうね・・・
(プロジェクトチームはだいたいそんなもんで進めるんじゃないですかね)
当事者意識を持って
「意見を出そう、出さねば、出しやすい」というのは・・
それ以上増えると、「自分の意見で会議が長引いては申し訳ない」とか「まぁワタシが出さなくてもいいでしょ」となりますね。
・・・で、練習の話に戻すと、
選手のほうは8人以上になってくると「他人ごと」というか
「とりあえず他のみんなについていけばいいや」という雰囲気の選手が必ず出てきます。
一方で指導者のほうは負担感が増しますから、
「ついていくだけのようなそぶり」は非常にイライラします。
ですから「オイ!こらキサマ! やる気ないなら帰れ!」などと言いたくなってくるのであります。
まぁ、そういう中で「野球部で鍛えられる特殊能力」というのがありまして、
あんまり話の内容がよくわかってなくても、指導者の大体のイントネーションで
「ハイッ!」と返事をするタイミングを計ることができるようになります。
興味のあるかたは強豪高校のベンチ上に座って観戦していると、
その辺のオーケストラに負けない一致感で返事をしております。
まぁ、
指導者のほうもまるで指揮者のように返事のタイミングを取ってくれているのでありますが・・・(笑)
さて、ホノボノとやっている我が星林高校野球部でありますが、
実際の作業量はどんなもんなんでしょうか?
これ、笑顔でやってますけどすぐに順番が回ってきますし、
実は「オラオラ~」といかにもガッツ・根性・気合でやっているように見える
人数の多いチームよりもトレーニング量はやっている可能性があります(笑)
考えたらすぐに順番が来るから、順番待ちの時の声だしなんてやりようがない。
あとは選手のほうも「自分を見てくれている」という喜びもありますから張り合いもあるんですよね。
新チーム当初は「おいおい二つの学年で17人かよ~」と絶望していましたが、
この人数の指導に慣れてしまうと、
「これ、ここに新入生が15人も(ホントは大して多くない)入ったら大変だな~指導になんね~な」なんて思うようになってしまいました(笑)
大抵は学年で15~20人くらいがいたわけで3学年で50人くらいだったわけですが、どうやってたんだろうか?(やってたハズなんですが)
ちゃんと練習になってたのか?
よく「人数が少ないのに頑張ってる」なんてチームが紹介されたりしますが、
反対で人数が少ないから強くなったということのほうが大きいんじゃないか?
なんて気持ちになってきます。
そら多けりゃイライラするわけだと・・・
これまでの野球の指導は「人数がいるのが当たり前」という前提の中で
「闘志なき者は去れ!」なんて言っていたわけですが、
そのツケが現在に来ているような気もします。
その時の指導方法しか知らないとちょっとキツイ状況かと思います。
逆に闘志の無いヤツは野球しろ!
なんて言えるような指導方法も大事じゃないかと・・・
それが社会貢献になる野球の在り方じゃないかなとも思いますが・・・
ちょっとこれまでの野球界は人を粗末にしすぎてたのではないかなと・・・
まぁ、これは大学なんかもそうなんですけども・・・
今、ワタシは初めての野球をしております。
なるほど、こういうこともあるのかと・・・
こういう野球も性に合ってていいや(笑)
こんな野球をしていた部員が将来的に教員にでもなってくれて野球部の監督でもしてくれるような時代が来たらいいなと・・・・
あっ、人数が多いとダメだと言っているわけではありませんので・・・
多いからこそできることもあります。
応援席の人文字とか・・・・(冗談ですよ)
人数が多ければ競争原理を働かせて向上心を刺激するという手が使えます。
(ただ、これもチームの持って行き方で簡単に崩壊します 例 ジャイアンツ)
一方で、それが本能かといえば、人間の本能ってそれだけではないらしく
協力してモノを成し遂げる喜びというものもあるそうで、
むしろ狩猟採集だった時代には協力して獲物を獲っていたわけだから、
獲った獲物は平等に分配していたそうであります。
カネや名誉もしくは指導者に言われるからというような外発的動機付けは長持ちしないと言われます。
進路のため、甲子園のため、監督に怒られるから、みたいなものです・・・
一方で自分の心の中から「野球が楽しい」とか「みんなでチームをしているのが楽しい」というのは内発的動機付けと言って、それが最終的には強いとされています。
現在の星林高校野球部は内発的動機付け集団と言える気がしますが・・・
どうなりますやら・・