人情の機微を知れば天下を取れる
・・・と松下幸之助はいいました。
『人情の機微がわかったら思うとおりのことができるわ。
行く手に障害も起こってこない。
人情の機微がわからないから障害が起こってくるわけや。
察しのいい人というのがいるけれど、特に察しのいい人はやはり人情の機微がわかっている。』
『人情の機微は教えることができない。学ぶのではなく、自分で悟るしかない。しかしその人情の機微こそが、人生の根底であり、いちばん大事なことである。』
・・・・でこれ聞いて
「そうだよな~」なんて思える人はいいわけで
『人情の機微を知る』、『察する』
などなど、これらの言葉を悪いように解釈する人がいて・・・
忖度(そんたく) 空気を読む 空気を読めない(KY)
なんて当たり前のことなはずが、
これを強要するのは良くないなどと言ってみたり、
読めない人が行き詰って悩んでしまったり、
逆に読める人が気を使いすぎて読めない人の分で心を病んだり・・・・
『1を聞いて10を知る』なんて指導は時代おくれと言われている。
ちなみにワタシの中学の監督は
「俺は2~3までしか教えないからお前らで工夫して10まで上がって来い!」
という指導であったが当然上がってくるものはいなかった。
結果、監督の気持ちを察したワタシだけが胃を壊すという状態であった(笑)
さて、人情の機微だのと、伝わる人には伝わるが、伝わらない人には最も伝わらない感覚をどう表現したら伝わるだろうか?
というようなことをいつも考えて格闘している。
モチロン、「キビなんてクソくらえ」という生き方もありだが、
ここでは分かりたいと思っているがワカラナイ、
俺の何が悪いのか?
と悩んでいる学生に、一つの表現を思いついた。
なぜか重要な仕事を頼まれない、
あいつは頼まれて俺には頼まれないという状況をツライと感じる人へ・・・・
(ラッキーと思う人はそれでよい)
野球の人限定の表現で申し訳ないが、
すべての人に通じる普遍的な表現って通じないから開き直って述べる。
察しの悪い人、
人情の機微のわからん人には・・・・
『無死1塁の送りバントのサインは出せるが、
スクイズのサインは出せない』
これどうでしょ?(写真は関係ありません)
野球を知る人に話すと
「あ~ それスゴイ わかります」
・・・と喜ばれました(笑)
スクイズを出せる選手って、
試合全体や先が見えている。
自分の立場、立ち位置が見えている。
監督の気持ちがわかる。
落ち着きがある。サインを見落とさない。
送りバントは、サインの出し直しがしやすいが、
スクイズは一発で読み取ってもらわなければならない高度で緊張感のあるプレーである。
「えっ?もう一回出してください」なんて言ったらアウトである。
相手にばれちゃう。(伝わって欲しい人にだけ伝わらなければ成立しない)
それから、サインが出た途端に挙動不審になるのもモチロンだめ(笑)
あとは、3球目くらいにスクイズを仕掛けようと思っているのに、
いきなり初球から振り回すとか・・・
『一生懸命やっている』を売りにするような選手にスクイズは出しにくい。
そういう問題じゃないから・・・
スクイズは察し力の攻防である。
そんなこと書いたら
「え~ミスが許されないのかよ~」
・・・と嘆くかもしれないが、
ようするに『先読み』の問題なのである。
サインが出てビックリしているようじゃダメだということで・・・・
「やりますよね」 で入って、監督の指令を待てる人間関係がキモである。
選手も覚悟がいるが、
監督も勝負師としての力量が試されるスリリングな局面である。
失敗した時には選手というより監督の力量が露呈される恐ろしいプレーである。
まぁ一時期はイチかバチかの『掛け捨て型スクイズ』ではなく
『貯蓄型保険付きスクイズ』が流行った時期があるがあまりうまくいかなかった(笑)
選手と監督が一蓮托生!それがスクイズであった。
そのあたりの部内の気質なんかとも関係してくるかもしれない。
キビもクソもない野球になっているのかもしれない(笑)
別に悪いと言っていないが、
野球部卒だからといって人情の機微が分かっている、
鍛えられているという時代ではないことを
ワタシは高校野球の現場でしみじみと感じている。
監督の人情を察してる場合ではない(笑)
まぁとにかく、
「よ~し、この表現ならあいつに伝わるのではないか?」
と言ってやろう。
・・・と思っているのがいる。
・・・のだが
その学生がバレーボール出身という・・・