全体練習終了後の夕方・・・
一人で黙々と投げ方の練習をする選手が・・・
「見ていただけませんでしょうか?」
・・・ということでお付き合い
どうせやんならと、ゴープロも設置して指導
クセの強い投げ方を修正するのはけっこうな難題なのであるが、
野球においてキャッチボールができるかできないかは、
レギュラーどうこう以前に本人が苦しい。
不器用ながらもマジメなこういう選手との練習後のこんな時間は、
こういうのを「好き」というタイプと
「やだよ、めんどくせ~」というタイプに分かれる。
こういう控え選手を指導してナンになるんだ?
・・・と、質問されてしまうと答えようがないのだが、
『こんな瞳で頼られたらどうやって断るのよ?(汗)』
・・・というだけで、特にボランティア精神があるとかではない(笑)
ただ、
「この選手の中に俺の存在があって真剣に頼られる」
・・・というのが嬉しいのは確実にある。
全体練習終了後に、
じっくりと行うこういう時間は練習というより「研究」に近い。
こういう『研究』の時間はけっこう楽しい。
最近の選手や学生を見ていて感じるのが
この「研究」という時間の醍醐味をあまり知らないのではないか?と感じている。
この高校一つで決めつけてはいけないが、
自主練習の内容があまりにも薄い・・・
うちの大学の野球関係者の学生の言動を見ていても感じる。
「答えのあるものに早くたどり着く」ことに意識があるのかな?
指導者がいないところでやる練習の意義を知らないのかな?
(別に陰の努力とかいいたいのではなく)
それとも
「大人が居ないところで勝手にやってはいけない」
と思っているのかも・・・(けっこう染みついているのではないか?)
あくまで推測だが、安全管理上の問題をうるさく言われている昨今では、
『大人が管理できる範囲でしかやってくれるな』
ということもあるのではないだろうか?
甲子園など見ても分かるとおり、
現在の野球選手のウマイ選手のレベルはかなり上がっている。
中学生の野球など見ていてもそう思う。
これは、やはり中学の部活よりもクラブチームできっちり指導を受けてきた選手が多いからだと思う。
指導者も、かなりの高いレベルで選手をしていた人が指導しているから合理的な指導を受けているのだと思う。
しかし、全体的にはどうなのか?と思うとちょっと疑問を感じる面もある。
肘をうまく使えない選手なのでとりあえずダーツ投げをしているところ。
古典的な練習方法で、仰向けに寝て天井にスナップスローを繰り返すのがありますが、あれって、
『できるヤツはこれができる』というタイプの練習方法かな?と思います。
練習方法もジャンル分けができると思っていて、
「できないヤツが、
現時点でできることの組み合わせによって、
新しいパターンの感触をつかむ」というタイプのものと、
「できるヤツはこれができる」とか、
「これがこのようにできるようになるとヨイ」
などと達成度を測るための練習方法とがあると思う。
どっちがいい悪いではなく、使用方法の問題
その整理をせずに「できる人」が「できない人」に
「ほれこうやりゃいいだろ」ということで、
『できる人だからそれができる』
という練習方法をすすめても多分ダメでしょうと思います。
最たるものが、「こんなの適当にパッとこうやりゃいいんだよ」なんてやつです(笑)
だから・・・
適当にやって(つまり無意識)でできるというのが
「できている」ということなんだから(汗)
ごちゃごちゃと抽象的な事を言ってますが、
こんなことを考えるとプロ野球の現象が理解できるのではないか?なんて思います。
相手の感覚世界に入って・・・なんていうとカッコいいですが、
そのフォームになるということは、
「さては投げるというのをこういう感じと解釈しているな?」
なんてことを推察しながらやってます。
そうこうしていたら、他の選手たちは「さようなら~」と帰ってしまう中、
オ~ヤマ先生が食いつくといういつものパターンで・・・(笑)
これ、うちの学生にも言えるけど
「おっ、なにかやってるぞ」と
好奇心を持って近寄ってくることができる選手が減りました。
「俺は呼ばれてないから行ってはいけない」と思っているのかな・・・
レギュラーたちが残ってガンガンと
内容ある自主練習でもしてくれりゃ強くなるチームですが、
まぁ暗くなっても危ないですから健康第一でございます。
先生がいるから帰れないなんて
どっかのブラック企業のようなチームではないのが
このチームの良いところです。ワタシも解釈の幅が広がりました(笑)
不器用な後輩のために付き合ってくれてる2年生(右)
なんかいい時間です。
こんな風に付き合ってくれた人間関係って、
なにかいいものになるんじゃないですかね・・・・
台風でうるさくて眠れなくて書きました。
皆様大丈夫ですか?